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盛岡帰省③

3日目は2日目に行く予定だった三陸海岸に行くことになった。

正月にあまちゃんをみてどハマりして、念願叶ってようやくこのGWに行くことになったのだ。

朝は7時くらいに起きようとしていたのだが、家が二つあってどちらも広いのに、なぜか3人一緒の部屋に寝ることになり、ドタバタうるさいのと、ソファーで寝苦しいのもあって、夜中に7回くらい目が覚めた。

そのせいで結局動き出したのは9時だった。

昨日は母が全て運転したので今日は僕が運転することになった。

助手席の母が案内役になるのだがバキバキに地図の読めない母は最初の曲がり角の時点で「えっ次?これどっち?もーわかんない?」といって職務放棄していたので、最初からイライラしていた。

そして何一つ変わりない田んぼ道が続くばかりで眠気も襲ってくる始末で目的地に進むごとにイライラが増していった。こういうときはマイナスなことばかり考えてしまうもので、温泉で友だちに将来の話をしたときに散々貶されたことを思い出してさらにイライラしてしまった。

死に物狂いで安全運転を心がけ、目的地につくと、そのイライラは吹き飛んだ。

あまちゃんでみた街並み、そして正午になるとなり出す「暦の上ではディッセンバー」。

それだけでドラマの世界に自分が入ったとような気がして、もう過去のあれこれはどうでもよくなった。

まず道の駅に行くと、あまちゃんの序盤で出てきた、ねぶたのようなでっかい物体が空間丸ごとにドンっと置いてあった。(ねぶんは青森なので多分ねぶたではない)

一応写真を撮っておいたがそれよりも、あまちゃんのポスター、のんさんの等身大くらいのパネルの方にテンションが上がった。

さらにお土産コーナーを見て回るとそこにもあまちゃんにちなんだグッズが販売されていて、おじさんは、久慈は未だにあまちゃんに縋っていてみっともないとコケにしていたが、自分にとってはあれから10年以上経っているのに色褪せてないのがありがたかった。

悩んだ末、劇中に出てきたミサンガを買った。しかし、1ヶ月経った今、使い所がわからず持て余している。

そして、これも劇中で出てきたウニ丼を食べてみたかったのだが一つ4000円以上していたので、まめぶ汁で我慢することにした。

豚汁が大好物なのでまめぶ汁も自分好みで美味しかったのだが、まめぶ汁でさえ500円以上したので、確かにおじさんの言う通り、あまちゃんに縋っていてみっともないなと思った。

道の駅を後にして今度は北三陸駅に向かった。

駅までの道なりも楽しみにしていたのだが、どこを通ってもシャッターが閉まっているお店ばかりで、はーんという気持ちになった。

駅に着くと、これもまたあまちゃんで見た光景が広がっていてまたテンションが戻ってきた。看板をみると、北三陸駅というのは劇中での名称で、久慈駅というのが正式名称だというのとを知った。

駅をバックに母親と初めて自撮りをしたのだが、太陽が眩しい上に風を強かったので、お互い酷い顔をしていた。

せっかく駅まで来たので鉄道にも乗ることになった。

あの憧れの三陸鉄道に乗ることができるんだ!と興奮していたが、乗った時に、あれっ内側からだと見えないやん、と内側ではなく、電車のフォルムの方にテンションが上がっていたのに気づき、旗を振って見送られた後、普通に寝てしまった。

乗り物に乗るとどうしても眠くなってしまうのが性なので、旅では色んな場所に行ってうたた寝をするという目的にしようと思う。

折り返し地点に近づくと流石に母に起こされ、窓から景色を眺めた。海が見えたが海は海以上の感想がなかった。それよりもあのベンチから叫ぶ名シーンの駅があってそちらにテンションが上がった。

折り返し駅に着いたが、その駅は緑一色で特に何もなかったが、洗面所が備えてあるのをみて、人間の開拓する力はすごいなと思った。

帰り道はスルスルと過ぎていき、再び久慈駅に着いた。その後はあまちゃんに出てくるモデルとなった喫茶店に行こうとしたのだが、GWに限って休業という、なんともやる気のない店だった。

仕方ないので最後に袖が浜海女センターに行くことにしたのだが、そこが今回の聖地巡礼の中で1番印象に残る場所だった。

そこは何度も劇中に登場してきたこの物語の肝である海女さんが素潜りをしていた場所で、夕暮れ時というのも合間ってとても幻想的な景色だった。

テンション上がって入っていいかわからない場所にもガンガン入っていて写真を撮りまくった。(多分入っていい場所)

大満足で三陸海岸を後にして帰りはBiSHの曲を上機嫌で助手席で聴きながら帰った。

夕飯は家の近くの食堂で食べたのが、多くの家族連れで賑わっているなか、ほとんど誰も会話をせずに黙って食べて黙って帰っていくのが印象的だった。

果たして家族団欒とは、大型休みとは何なのかふと考え直した。

都会の人は大型休みともなると、どこかへ出かけなければいけない、楽しむものという空気がどこに行っても漂っている気がする。何かこれまでと同じではダメで、特別でないといけない気がしてくる。

けれど盛岡の方は、肩肘が張っていないというか時間がゆっくりと進んでいるというか確実に何かは変わっているのだけど、そこ流れが緩やかで無理に抗ったり、捻じ曲げたりしていないように見えるのが印象的だった。

人の多い場所にいるとその分競争も多くて、常に中をしていないと先を越されてしまう、そんなこわさがどこかである気がする。それはそれで競争心が掻き立てられて良いとは思うのだが、ずっとそれでは疲れてしまうし、ときには岩にくっつく貝のように、その場に抱きしめてゆるやかに川下へと流れていくような、そんな生き方も悪くないと思う。

その夜はいつもよりぐっすり眠れた。




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