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コロナ禍で医療従事者が叩かれる理由

 9月15日現在、理由は不明ですがコロナウイルス感染症の第五波もピークアウトし、感染が下火になりつつあります。このままワクチン接種が進み、治療法が普及し、医療従事者もそうでない人たちも平時の生活が取り戻せるようになることを願うばかりです。

 さて、感染症が人々の生活を一変させたコロナ禍においては、いまだかつてなく医療に対する関心が高まっています。医師がご意見番として様々なメディアに引っ張りだこになり、専門家でない者ですらコロナ対策を語り、医療従事者と素人が病気について論争するという平時なら滅多に無い状況が長く続いています。

 医療従事者ですらない素人が知った口をきき、医者を叩いて知名度を得ているのは何故でしょう。そう問われると「混乱に乗じてデマを流布して私服を肥やす者がいるからだ」とか、場合によっては「医療従事者が結託して利権を守ってるからだ」と言う人もいるかもしれません。ですが私はもっと巨視的に捉え、民主主義と医療(科学)の性質の違いがこの争いを生んでいると認識しています。

 「医療」と「医療政策」では、議論の質が異なります。

 医療・医学は科学の一分野であり、結論は多数決ではなく科学的正しさによって決まります。100人の素人がその病気をコロナでないと考えようが、1人の専門家がコロナだと分析すればそれはコロナです。

 対して医療政策は政治の一分野であり、結論は民主的な議論によって決まります。科学には正解がありますが政治には正解が無いので、素人も含めて全ての人で話し合ってどうするかを決めるのです。1人の専門家がコロナ患者を減らすために私権制限をすべきだと考えても、100人の素人が感染拡大を許容して自由を尊重すべきだと考えるのであれば、専門家の意見を押し通すべきではありません。

 科学は(議論に至るまでの入口部分では)権威主義的に捉えた方が良いものです。教科書も読めない、先行研究も知らない素人の感情論で科学的な事実がねじ曲げられるようなことはあってはならないので、最低限の知識が無ければ議論に参加すべきではありません。しかし、民主主義における政治では権威主義は悪です。偉い人に議論を投げるのではなく、学のある者も無い者も議論に参加し皆で税金の使い道を決めるのです。これらの性質の違いが認識されていないために、医療について知った口をきく素人が出てきたり、医療の専門家でしかない医師が医療政策について偉そうな口をきいたりするのです。

 ただ、面倒臭いのは議論の性質が異なる「医療」と「医療政策」が、地続きの関係にあるという点です。「多大なリソースを投じてワクチン接種を進めるべきか否か/どの種類のワクチンを導入するか/誰を優先してどのような方法でワクチン接種を進めるか」は医療政策の議論です。しかしその議論の前提として「それぞれのワクチンにはどのようなリスクがあり、ベネフィットがあるか」という医療の議論が必要になります。これらが連続しているために、政府に批判的な素人がワクチンの効果まで批判し始めたり、逆にワクチンの効果を宣伝したい医師がワクチン“行政”に対する批判まで非科学的な反ワクチン扱いをしたりといった感情的な殴り合いが生じているのです。

 人類は愚かですね。

 これを読んでいる素人の皆さんは、「自分は医療の領域にまで踏み込んでいないかな」と自省しましょう。医療従事者の皆さんは「医療政策の領域まで踏み込んで素人を見下していないかな」と自省して下さい。医療では素人より専門家の方が偉いです。医療政策では医療従事者も素人も同じ一票を持った対等なプレイヤーです。その立ち位置を改めて認識しましょう。


 その上で、コロナウイルスについて知りたい素人は権威主義に従って厚労省のサイトを見ましょう。ネット上で過激なことを言ってるインフルエンサーの言うことを信じてはいけません。そして、医療“政策”について考えたい人は、権威主義に陥って政府の言うことを盲信してはいけません。政治家は平気で嘘を言います。どのような政策が望ましいかは、偉い人ではなく我々一人一人が考え、議論していくものなのです。


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