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不登校クロニクル2017年(小4)本格的に学校を離れ、家庭メインで過ごすようになる

現在、通信制高校2年生の長男の不登校クロニクルです。
要約バージョンに続き、各年を記録しておきます。
100人いれば100通りの不登校(きっかけ、過ごし方)があります。我が家のケースということでお読みいただければうれしいです。

小4概要

「ホームエデュケーション」という言葉を知り、なんとなく「これだ」という気持ちになる。 
第三者である専門機関の力も借り、子どもが学校に合わせるのではなく、学校が子どもに合わせて育ちを促進するような体制作りにトライする。 
学校に足を運ぶのは週1回のみ。オリジナルプリントを作ってもらったりして、教科学習してる雰囲気をふんわりまとわりつつ、家庭でただただ興味のあることをして、遊んで過ごす。 
お昼ご飯を半分、自分で作るようになる。 留守番が普通になり、親の私はあちこち出かけるようになる。



一学期

 特別支援学級の担任がQ先生になる。
 小3の時の支援級担任の先生とは対照的に、若い、男性の先生だった。(長男が言うには、運がよかった。)
 学級担任のY先生は持ち上がり。とても理解がある方だったし、一から長男のことを説明せずに済んで、とてもありがたかった。
 学期初めにどう過ごすかをQ先生とミーティングした。空き教室を改造した学習スペースは今年も継続。
 Q先生は身体介助が必要な子の担任も兼ねていたため、2年生の時のようにつきっきりでサポートはできない。先生のサポートがなければ長男は授業が受けづらい。長男が学校に登校する気持ちなら、できるだけサポートできるように他の先生と調整するけれども、マックスでも半分。
 長男と話し合い、いろいろ考えて、現時点で学校で学ぶのはむずかしい。家で過ごすことにする。最終的に週に1時間だけ待ち合わせて、空き教室で工作等の活動をすることになった。
 学校と、細く長くつながり続けるといいのではという専門機関のアドバイスも参考にした。
 当時の長男はどうしても学校ではいきいきできなかった。今は、いきいきできる家庭で学ぶ。成長すれば、いずれ追い付き、みんなの間で学べるようになるのではという期待が、私の中にはあった。 

 ほぼ家庭で好きなことをするホームエデュケーション生活となる。
 先生とミーティングして決めたので、3年生の時のように後ろめたい気持ちにならなくて済んだ。
 学校での栽培や実験を家でやるということも、学校との「細いつながり」になった。
 ペットボトルでの稲の栽培、Y先生が長男の分も忘れず確保してくださっていた。オタマジャクシもくださり、家で育てる。

二学期

 運動会の練習が始まる。
 どんなふうに参加するか、Q先生が考えてくださる。
 体を動かすのが極めて苦手なので、大道具はどうだろうか。
 みんなの演目は沖縄の踊り、エイサーをアレンジしたもの。ダンボールのシーサーを2つ、作ることになった。
 Q先生は設計図を作るのが好きな人だった。
 長男はこういった「得意」を持っている人が好き。レスペクトできるからだと思う。
 1ヶ月ほどかけて完成した。ここまでは、長男、楽しんでいた。
 けれど、運動会当日。
 先生がシーサーを「がんばって、みんなの真ん中に置きに行こう」と長男に声をかけた。それは、事前に話していないこと、予定にないことだった。
 何百人もが見守る中、長男、どうしても入場門を入ることができなかった。私は、長男を励ますべきなのか、長男を守るべきなのか、迷い、焦った。パニックを起こして、叫び、逃げ出してしまった。
 運動会は「失敗体験」となって終わってしまった。
 運動会の後、長男はしばらく登校を拒否した。
 学期末の懇談で、Q先生とじっくり話した。
 「長男ができるプリントを作ってもらえませんか」。学校時間が減るなら、家庭学習を充実させたらいいのでは。一緒に、楽しくできそうなプリントの種類を考えた。みんなと一緒の進度はもうとらなくていいと思っていたが、プリントの回答とチェック、評価という形でのコミュニケーションの習慣は無くしたくないと考えていた(当時は。)
 長男には、先生には長男を苦しめようという「悪意」はなかったこと、チャレンジしてほしいという気持ちがあったということを話した。

三学期

 三学期になると、長男とQ先生の間の空気が和らいだ。
 プリントのやりとりは定着して、先生はいろいろ工夫してくださったが、そのプロセスで、割り算、あまりのある割り算がどうしてもできないということがわかった。
 先生が、長男が好きな「果物」を題材にしたシンプルなプリントを作ってくださり、割とおもしろがりながらやる。
 が、それでも、あまりのある割り算はできるようにならなかった。
 どうも複数の工程のある数学的操作が極めて苦手らしいとわかる。

家庭では

学校に行かないことで、有り余る時間を「遊び」「学び」に使えるようになった。視聴するテレビの種類が増える。興味の範囲が、植物から、台風を経て気象に広がる。
夕日の撮影など、大量に写真を撮り始める。
雑誌『のらのら』を定期購読して楽しむ。
ナチュラリストで理科のセンセイである盛口満さんの本を読み始める。
・・
ほぼ全ての番組は録画して見る。聞き取れなかった場合、いつでも巻き戻せるように。
情報のインプットの仕方への「こだわり」。
自分を心地良くするために必須なのだと解釈する。
そして、学校の授業は巻き戻しできないから、それはもう、難しいだろうなと思う。
長男の「ありのまま」が出れば出るほど、学校が合わない理由が見えてくる。
しかし、見た番組、読んだ本の記憶は驚くべきものだった。彼流の情報のインプットとアウトプット、遊び方、学び方をみっちり行うようになることで、爆発的に知識が増えていった。父親(夫)と高度な内容で雑談できるようになり、夫は学校に行かないことを積極的に肯定するようになる。

最初の方に読んだ盛口満さんの本

『食べられたがる果物のヒミツ: ゲッチョ先生の果物コレクション』
イラストがメイン。最高におもしろかった。大人にとっても「果物」の見方が変わる本だった。実際にいろんな果物を買って味わってみたり、種の数を数えたりした。

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