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人に伝わる文章を書く練習。

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最近の記事

ラストマイル

ラストマイルの情報解禁がされてから、ひかりちゃんが主演だ!旅行行ったり歌歌ったりのびのびしてたひかりちゃんをやっとスクリーンで主演で見れる!! と思って早一年?が過ぎた。 予告編が上がっていくにつれ、どうやらドラマが2つ関わっているらしいこれは見たほうがいいのか?見なくても楽しめるのでは?映画最初の方が発見が多くありのまま見れると思い結局ドラマは見ずに映画館へ行った。 予告で「MIU404」と「アンナチュラル」が押されていたため、たくさんの時間出てくるのだと思っていたら全く

    • ぬるま湯

      最近人生がうまく行きすぎてて怖い。 運もあると思うけど、楽観的に物事を捉えられるようになったことが強いと思う。 今までぬるま湯に浸かってのほほーーんと生きてきたから、今はちょっと熱めのお湯に入ってる。多分ちょっと熱めのお湯に入ったことで楽観的に捉えられるようになったんだと思っている。 お湯の温度が変わったら、今度は自分の考えをしっかりと持っておかないと!! 今までは意見を否定されてきたけど、案外いいね!と言ってくれる人ばかりで驚いている。自分がいた空間がつくづく狭いコミュニ

      • 友達

        大学での友達。と高校時代の友達。は少し違う。 高校の友達は分け隔てなく話せるし、今日空いてる?など気楽に話せる。大学での友達は一歩おいた感じで話すことが多い。長期休みになると大学の友達で遊びに行くことは少ない。LINEで今どんな感じ?とやりとりするだけだ。多分これが世間一般の交友関係だろう。 高校での友達が良すぎた。良いという言い方は適切ではないが、なんでも話せて相手に気を使わなくてもいい関係の友達に多く出会ってしまった。大学での大人の交友関係にまだ自分は慣れることができない

        • 『建設』

          ここ最近noteも書いていなかったし本も読んでいなかった。 本屋に行った際何故か「対談集を読もう!」そう思った。 沢山の本から選んだのは『人間の建設』タイトルがカッコよかったから。それだけ。 いざ読んでみると学問とは何かから、数学・文学・発掘調査まで幅広い話がされていた。高校の授業でやったことがここで生きてくるのか! 自分が知ってる単語、内容の話が出てくると嬉しくなった。 高校の時に大人から言われた言葉。「今すぐに役に立つことはそうそうない。何年後かにあっ!ここだ。って思え

        ラストマイル

          経験

          今まで「経験」することの大切さがわからなかった。経験は降ってくるものだと思っていた。 自分から飛び込んでみて経験してみるって楽しい! 今まで待ってたけど行動できる方が自分をよく知れると思う。

          ‘夢‘

          SNSをよく見るようになったからだろうか?同級生がインスタやツイッターを更新していると不安にかられる。インスタでは大学生活を謳歌している様子がアップされ、Twitterでは自分の夢や考えが書かれている。 もちろん、ネットだから楽しかったこと良いところしかアップされていないことは重々承知である。だが夢や行動力を見ていると落ち込む。人と比較していいことももちろんあると思うが、この手の比較は自分の自身を無くすだけだ。 大学生活での出来事・放課後の遊び・バイト・人間関係・行動力全てを

          ‘夢‘

          大人になれたよ

          「大人になったと感じる瞬間は?」 「無人島に一つだけ持っていけるとしたら?」と同じぐらい聞かれるこの質問。 コーヒーを飲めた時だろうか。自分で自由に使えるお金ができた時だろうか。交友関係が広がった時だろうか。門限がなくなったときだろうか。きのこが食べられた時だろうか。 多分正解のないこの問いに自分なりの答えがでた。     近代文学が読めるようになったことだ。 そんなこと?と呆れるかもしれない。正直いって小学生でも三島由紀夫やら遠藤周作やら川端康成は読める。しかし私

          大人になれたよ

          ルーティーン

          3回ジャンプをする。 これは緊張する発表の前に必ずやる。 義務教育期間の中で緊張しない。というのは無理なことが分かった。それに緊張することは悪いことではない。緊張するということはいいことなのだ。むしろ全く緊張しないのもどうかと思う。それまで自分が努力してきた証だからだ。 なぜジャンプをすると緊張がほぐれるのか自分でもよく分からないが自分にはこれが合っている。 明日もやろう。

          ルーティーン

          伝わらない

          エッセイを読んでいると、この著者はいつどこでどういう気持ちでこのエッセイを書いたのか。想像してしまう。これはなかなか共感されにくいことらしく友人に話すと変な奴扱いされた。友人が言うにはそんなことは考えないらしい。 エッセイは人の頭の中を覗ける一つのツールだ。するとどんな背景があってどんな気持ちでどんな環境を整えて文章を作り出しているのかが気になる。 この思いを誰か共感してほしい。ちなみに小説はそんなことは考えない。 この思いもこの文章も伝わらないだろう。

          伝わらない

          AI

           Twitterで流れてきたツイート。気になって全部見てみた。 人はどこまでAIと共存するのだろうか。共存できるのだろうか。 ここ最近「ChatGPT」という単語をよく聞く。「ChatGPT」はユーザーが入力した質問に対して人間のようにAIが答えるチャットだ。ニュースでは学校の先生が試験問題を作成するのに使ったり、生徒がテストの予想問題を聞いてテスト対策をするといった用途で使われているようだ。先生の働きかたも生徒の勉強方法も時代とともに変化していく。 しかし「ChatGPT

          日曜日の午後のこと。春休みで暇を持て余していた私は日雇いのバイトを入れた。 仕事がひと段落して3人でかたまっていた。すると「君さ、ちょっとこっち来て」 そりゃ名前も知らない人だ。「君」と呼ばれても仕方がない。しかしその場にいた3人に向かって「君さ、ちょっとこっち来て」と3回言ったのだ。3人を呼びたいとなったら「そこの3人ちょっとこっち来て」でいいだろう。なぜ3回「君」とわざわざ言ったのだろうか?仕事やってますアピールだろうか。 そもそもなぜ「君」と言われるとムカつくのだろ

          note

          昔から話が上手く伝わらないことがある。 どうすれば自分の言いたいことが伝わるのか。 とりあえず書いて文字にしてみようと思う。いつでも見返せるしね!