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仕事が楽しすぎて最高の職場を辞めることになった話

こんにちは、今ニートのにうむです。

仕事を辞め、落ち着いてきたので、長くなりそうですが備忘録?として何があったかを書いていこうと思います。


2018年4月、ある田舎の製造会社に新卒で入社しました。

ハロワの職業分類に無いようなマイナー職なので何を作ってるかは控えさせていただきます。

工場内には常駐の下請け業者を含めるとすごい数の人間がいて、それぞれの利害や人間関係、信頼関係がモノを作っていく、小さな町のようになっている工場です。

自分の社員としての仕事は図面やオーナーの要望を聞きながら指示、検査、修正をしていくというものでした。


1年目、最初はみんなと仲良くなることに重点を置きました。

配属後、具体的にどんな仕事をするのか聞いてもふわっとした答えしか返ってこず、とりあえずそのへんにいる上司について行って、仕事を見ました。専門用語ばかりで、聞く暇もなかったのでとにかくメモをとっていました。

部長曰く、ここの職場はコミュニケーションが100%だとのことでしたので業者の方々とたくさん話しました。

自分は非常に口下手で、友達もほとんどいないため心配でしたが、ほとんどの人が対等に接してくれて、あまりにもすんなりと受け入れてくれました。

毎日だれかにジュースをおごってもらい、非常時には助けてくれて、毎日笑って仕事ができました。

彼らは仕事もできて、聞いたら教えてくれ、非常に良い関係を築いていくことができました。


しかし、同じ課の社員はそうはいきませんでした。

役職持ちは限られた内輪での会話をするばかりで、直接の上司Aはそんな上司たちに頼らず一人で突っ走り、あと一人Bは休みがち、もう一人Cはみんな何をやってるか分からない…あまりにもバラバラでした。

個人プレーが多く、相互でフォローし合えてない。直接の上司Aの負担が大きく任せっきりになっていることは素人目にもわかりました。

そして課長はそれをわかっていても正せないんだと言っていました。

他の社員に「お前がAを助けてやれよ」と言われることがありましたが、それは9人もいる課員のうち突っ走る人数が1から2になるだけで、根本的な解決になりません。

生意気にも、月一の課の会議で意見してみました。

「この会議、課長が「それもっと早う言えよ」って言う事後報告が多いように思います。それに一人欠席するとその人は2か月空いてしまいます。日頃からのコミュニケーションはもう無理だと思うんで会議を2週間に1回に増やしませんか。」

皆に嫌な顔をされると思ってましたが、

「いいと思う。業者も呼ぼうや。」

と何やってるか分からないCは意外にも同調してくれました。

しかし役職持ちがやる気を出さず、この意見はお流れになりました。

この会社はこの上なく自由度が高い会社ですが、こんなことが何度か続き、

(まあ余計な事せんでええか、業者とたのしくゆっくりやっていこ)

という感じの考えで割り切ってやっていくことになりました。


2年目

そこそこ専門用語や機械操作の理解が進み、独り立ちできるようになって安定してきたころ、変化がありました。

一つ目はプライベートです。

夢中になれる趣味探しに目を向けるようになりました。

ダンス、俳句、ゲーム、アクアリウム、ファッション、株、素潜り、食べ歩き等、いろんなことをやりましたが毎日の趣味として残ったのはゲームとアクアリウムでした。

ゲームは他部署の人とたまの休みにポケモンバトルやスマブラをやったりして、第二の青春が来たような楽しい時間を過ごすことができました。

アクアリウムは最初にメダカから始め、どんどんこだわるようになり、最終的には60cm水槽で熱帯魚を飼い、水草のレイアウトを楽しむようになりました。

仕事もプライベートも順風満帆だったころ、実家のほうでトラブルが相次いでいました。

兄弟みんな統合失調症などの精神病を患い、母親は知り合いの金銭トラブルに巻き込まれたあげく悪性腫瘍が見つかっていて、みんなろくに生活できる状況ではありませんでした。

もともと妹が自閉症で将来の心配があったのですが、心配性の自分はさらに不安が大きくなり、将来的に実家に帰るべきか、それともここで稼ぎを得て支援していくのか、と少し悩むようになりました。


二つ目、今思うと自分の心境に異変があったと思います。

もともと自分はドロドロした人間の関係、大人の思惑、人間関係に関する駆け引き、のようなものが本当に嫌いで、騙されやすく、ピーターパンシンドローム的要素を自覚している節がありました。

1年目はほとんど意識していなかったのですが、2年目から普段仲良くしている同期や下請け会社の社長、もっとも仲の良かった上司Bに至るまで、距離の近しいほとんどの人に対して

(実はこいつに利用されているだけなんじゃないのか)

と心のどこかで思うようになりました。

今思うと、ビジネスで接点を持った人間関係ですからそういうこともあると思います。そして単純に仲良くしてくれた人もいたと思います。

しかし当時は、自分の未熟さ、騙されやすさを利用して思い通りに動かしてやろうと思っているんじゃないのか。そのためにジュースも奢るし飲みに誘ってくるんじゃないのか。愚痴を言ってサンドバックにされてるだけじゃないのか。

と頭の中で証拠が提出されぬまま疑念のみが増幅し、夏には良好な人間関係が純粋に楽しめなくなり、冬には本音を言える相手がツイッターと水槽の魚のみになっていました。


三つ目、仕事以外で話せる人がほとんど居ないことがキツくなってきました。

恋人はおらず、友人はみんな県外に行き、疎遠になっていました。

田舎だったので地元のコミュニティや出会いは爺さん婆さんばかりで、その辺を出歩けば会社の人とよく会いました。

店もないので寄り道する先もなく、店員としゃべる機会すらありません。

友達欲しさにマッチングアプリに手を出したこともありましたがもともと口下手な人間がチャットなんてできるはずもなく、一人3回返事が返ってくれば良いほうでした。


実家の不安、人への疑念、孤独を忘れることができるのは無心で仕事している時のみでした。

”本心でない会話ができる仕事をするただの人”を演じるだけでその日のタスクが終わり、業者の人と笑いながら別れ、寄り道せずに帰ったら一人でゲームして寝て、毎日笑顔で過ごせました。


3年目

この年はいろいろありすぎるので端的に書きますが、

まず課を引っ張ってくれていた上司Aが出向になりました。

それと同時に全く別の規格のものを作ることになりました。

その別の規格のものは従来と比較すると工期は30%増に対して見込み工数は80%増で、社員は誰も経験者がいない、さらにうちの課はAがいないということで大変騒ぎになりました。

課の役職持ちもやる気無さそうだし、Aの後を継いでがんばっていこうと勉強していたころ、上司Cが課を引っ張っていくようになっていました。

上司Cは口が悪く思ったことを正直に言う人で、今まで一匹狼のような立ち回りをしていたこともあり、みんなから正直避けられている存在でした。

自分は堕落した役職持ちに頼るのはもう完璧に止め、Cについていくことにしました。

このままじゃ会社が終わると考えたのもありますが、なにより若いうちにがむしゃらに仕事をした経験が欲しかったのです。


ここから辞めるまでの半年は激動の時でした。

Cの言うことにはできる限りYESと言い、意見を出し、報連相を徹底しました。もともと体力仕事込みの仕事なので本当にキツく倒れかけたこともありましたが、任せてもらえるものも大量に増えました。

Cは役職持ちは居ないものとして扱うとみんなに宣言していましたが、自分はこれから物理的に無理になると判断して主任や係長にこっそり仕事を振って連絡の催促も欠かしませんでした。

自分は入社してすぐに課長の仕事をやらされていましたが、それを課長に振り返しました。

役職持ちの権威が無くなると同時に、Cと相談して2年前提案した会議の増加が実現しました。

時代に逆行するものですが結果的に相互フォローの増加となって想像以上に活かされていました。

こんな中で仕事の取捨選択を覚え、レスラーのような職人に怒鳴られても表情一つ変えない胆力を得ることができました。

そして何より、Cは誰の前でも言葉を飾らずダメなところはダメと容赦なく言ってくる人間で、疑り深くなっていた自分にとっては最高の上司でした。

そんな上司が「最近にうむが頑張ってる、一番頼れる」とトップ層に話を流していると噂で聞いたときは涙が出ました。

毎日大変だけど楽しく仕事をして、上司と遠慮のない意見交換をして、業者と仲良く話ができる。最高に充実した時間でした。


ある日、目が覚めると体が異常に重く感じました。

前の日の疲れが出るにしても手足も動かせず、思考も暗くて重いものでした。

異様さを感じて辛うじて動く指先でCに休みの連絡を入れました。

二度寝もせずそのままの体勢で6時間、やっと起き上がれても食欲もなく、気晴らしにドアを開けようとするも外に出ることに恐怖を覚え、握力が出ずに開けられませんでした。

水槽の手入れや水替えはできませんでした。

そんな無気力状態で有給を使い切った後、やっと行くことができた病院で適応障害と診断されました。

会社に診断書を送って約1か月休職しました。

最もキツかったのが不安発作です。

今まで病んで自殺する人のことは正直あまりわかりませんでした。

世間はそういう人に対して「他に方法あったんじゃない?」とか「相談しよう」とか言いますし、今になって自分もそっち側だったんだと気づきましたが、不安発作を経て思ったのはそんな次元のことではないんじゃないかということです。

自分は自分が死んだほうがいいとは全く思っていませんが、膨大な不安が脳に流れ込んでくると、人生で初めて1年後に無事生きている自信がなくなりました。

”死んだほうがマシなほどのつらさ”の片鱗を見ると人生ちょっと変わるなと思います。


こんなことが続き、退職を決意して実家に帰りました。

もう毎日笑えた職場に行くこともありません。

厳しい上司に認められることもありません。

スマブラやポケモンでワイワイ騒ぐこともありません。←多分これは一生無い

いままでの生活の楽しみの一切を放棄してわずかな貯金を切り崩す毎日を送っています。

「こんなんじゃやっていけないよ」とか「社会人はこんなもんだぞ」とか言われるかもしれませんが自分は辞めるしか出口を見つけられませんでした。

だれか仕事あったら紹介してください。


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