クソ仕事からの脱出 ~にたない役所やめるってよ~ ①

本当に久々に書くんだけど、ちょっと章立てみたいな形式でつらつらと書いていきたいと思う。確か、前回までジプシー公務員生活のお話をしたと思うんだけど、ほとんど内容を忘れてしまった。たぶん、退職に至るまでのつらい日々を訴えるように書いていたかな。

前回から半年以上たって、過去もゆとりをもって振り返れるようになってきたので、自分の過去のつらさを訴えるのではなく、生きづらい今を生きているサラリーマン、そして公務員の方に向けて書いていければ、と思う。


さて、社会人類学者デヴィットグレーバーが「ブルシット・ジョブ」と呼んだ本当にどうでもいい「クソ仕事」は、いまでも世の中に蔓延しているが、2012年から2015年のぼくもこの「クソ仕事」と正面から対峙していた。

宮仕えの身にとっては、自分の考えとは正反対であっても、選挙で選ばれたリーダーによるトップダウンによる政策は実行しなければならない。そして、どんなにやりたくなくてもトップの意向を受けた上司から資料づくりを命じられれば、自分なりに精一杯つくらなければならない。

はじめは、ちょっとした違和感であったものが、経験を積めば積むほどとてつもなく苦痛になってくる。そしてそれ以上にそのトップをおもねって気に入られようとする上司の姿勢が耐えられなくなってくる。

そんな上司(達)を見て、「自分は将来こうなるのか」と思うととてつもない絶望感に襲われていた。


そんな思いを抱えていた2015年の春、突如企画政策部門の課長補佐を命じられてしまう。

企画制作部門の課長補佐・・・わかりやすく国に例えていうと内閣官房と内閣府を併せた組織の官僚といえばいいだろうか。

とはいえ、そんなかっこうのいいものではなく、国でいう閣議の事務を行ったり、市の重要な計画の調整及び連絡役と考えてもらうといいかもしれない。


振り返ってみると、ほんとにこのポジションがぼくには合わなかった。

確かに自分にとって勉強にはなる。国の動き、県の動きがよくわかる。当時は安倍政権だったが、石破さんが地方創生大臣で、地方創生に力を入れていたのも身にしみて感じることができた。

だけどなんか「自分が仕事やってる」感が全くないのだ。

なんていうか「別にオレじゃなくてもいんじゃね」感。


国の官僚の仕事がどんなものかは想像もつかないが、こんな感じがあるんだろうか。そんな中でも「意義」や「価値」みつけて仕事ができるものなのだろうか。


そしてこの2015年は、めちゃくちゃ計画をつくらなきゃいけない年だった。

「○○ビジョン」、「○○計画」そして「○○計画中期プラン」。これを計画部隊長(係長)含め4人でつくらなきゃいけない、そういうミッションを管理する立場になった・・・。

「無理なんじゃね」

ぼくもそう思ってた。

だが、この計画をつくると国から補助金が来るからやれという。

いわばニンジンをぶら下げられた「競走馬」だ。


おまけに「地域おこし協力隊」や「ふるさと納税」、「国勢調査」の担当補佐だったので、毎日何をやってるかわからなくなってきた。


この「計画」をつくることは正義か?

そんなことを考えながら日々心をなくして仕事をしているうちに計画部隊が元気をなくし、病気休暇をとるものもでてきた。

このままでは計画どころか、彼らの命すら危ない。

本当にそう思っていた。

しかし、計画策定の期限は刻一刻と迫っている。

計画部隊長は部下がいなくなって一人でもやるくらいの意気込みだ。

それはさながら、第二次世界大戦のビルマ戦線において16万もの日本兵が命を落とした「インパール作戦」にも似た無謀なものに思えてきた。


自分はどうすべきか?

答えがみつからないまま秋を迎えていた。

                          (つづく)

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