ジプシー公務員


クソ仕事に嫌気がさしてやめた話を書こうとして一ヶ月がたってしまった。

以前の記事で書いた偉人課は、鳴り物入りで作られたセクションだから、組織の中枢に近いプロジェクトとして自他ともに認める存在であったのかもしれない。

そういう意味で結果を出さなければならなかったのはわかるし、仕事も作らなかればならなかったのもわかる。

でも、その前に、こういう課題があり、その課題を解決するためにこの組織は必要で、そのミッションは〇〇で、ミッション遂行のためにやらなければいけない事業は△△で、その成果をはかるために◇◇の指標があって、その結果をもとにブラッシュアップしていく・・・というあるはずだった仕事のモデルがすっとばされていく・・・。

こんな状況なんで、やる気もへったくれもなくなってきたが、新しく作った時にはファイル一冊しかなかった偉人課も、2年目ともなるとたくさんの仕事をあたらしく作りながら、かなりいそがしくなってきた。

偉人課におけるぼくの係のミッションは偉人館をリニューアルを含め、偉人館周辺を整備すること。


当時の組織のトップが思い入れの強い方で、こうと決めたら法律に規制があろうとなかろうとともかく押し通す。

やれないことよりヤレる方法をまず考えろ!ってことで、それが「正しいかどうか」とか「本当に住民のためになるのか」なんてことは考えず、その指示どおりにやったヤツが出世する・・・そんな組織だった。


偉人課にくる前はトップともベクトルがあって、壮大なロマンにやる気に満ち溢れた仕事をしてきたのだが、偉人課にきたらツークッションくらいおくものだからどうも波長があわない。

おまけに偉人課では「金はあまりかけずに偉人の雰囲気を醸し出すようなハード整備をする」「ハードは一気に整備するようなことはせず、何年かにかけて一体のものとして整備していく」という、まるで太平洋戦争におけるガダルカナル島の戦いでの日本軍のような戦術をとったものだから、本当であれば10体くらい整備されるはずだったモニュメントが、トップの交代により猫ちゃん2匹で終了という憂き目にあってしまった。


仕事のやり方にもストレスがあった。

一番のストレスは上司から「現場にいくな!」と言われたこと。

「現場にいくとサボる」のが理由だそうで、現場に指示を与えやらせるのが組織の中枢部にいる我々の仕事らしい。

用事があったら、業者でも外郭団体でも呼んで指示をする・・・このやり方がほんとにヤだった。

ぼくは仕事におけるポリシーなんてものは持ち合わせていないが、ただ、仕事の信頼関係というのは現場の最前線にいる人たちの声や話を聞きながら、その人たちがやりやすいようにすることだと信じてきた。

その信念が根本から崩され、俺はこんなとこで何やってんだ、と思う気持ちが強くなっていった。

正直、カレンダーにバツをつけながら早く3月31日が来ないかな・・・と待ち続ける日々だった。


思いはかなって、偉人課は2年でクビになり、地域のことを元気にする課に異動した。

地域のことを元気にする課での経験は、今の仕事に直結している。このことはまた別の機会に書くが、少し腰を落ち着けて地域のことを一生懸命やろうとしていたところ、なんと、その課も1年でクビ。

ボクの公務員生活は、23年間で12箇所経験する(平均2年いかない)という、まさにジプシー公務員生活。


そしてジプシー公務員生活にピリオドをうつ、中枢課の課長補佐のエピソードはまたあとで。

ほんと、しょうもないのでそろそろこの話は終わりにしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?