オリンピックに見る「体育会的なもの」と「スケボー的なもの」(後編)



「田瀬」での打ち合わせは滞りなく終わった。

「田瀬」では、「田瀬湖」の日本代表ボート合宿のことが話題になっていた。

やはり「オリンピック」はすごい。

コロナの景色を一変させてしまっている。




午前10時。車のエンジンを入れると、「阿部きょうだい」のダイジェストは終わっていた。これから「女子スケートボード」がスタートするらしい。


「柔道」と違って誰が出場するかも知らない。

「スケボー」自体は、僕がクラブマネージャーをしているスポーツクラブのスポーツ教室でもやっているので、知らないことはない。が、だからと言ってスケボーができるわけでもない。

スケボー教室の講師を頼んでいるダイチくんから、「これからスケボーくるっすよ」とか「いやーおれ、ツテがあってホリゴメくん来てもらえるかもしれないっす」とかいろいろ教えてもらうんだけど、さっぱり頭に入ってこない。


カーナビのテレビでは、実況のアナウンサーがテンションを上げ気味に話している。「さあ昨日の金メダルを取ったホリゴメユウトに続いてメダルが期待されるスケートボード女子ストリート日本勢・・・」

そういえば昨日男子のスケボー競技があって堀米っていう子が金メダルとったっけなー・・・ってダイチが言ってる「ホリゴメ」って「堀米雄斗」のこと?


なんか遠いのか近いのかわからない世界。いずれ、これまでのオリンピックではない「何か」新しいことが生まれているのは間違いないようだ。




「さて、次は日本期待の西矢椛(にしやもみじ)、まだ13歳!初めてのオリンピックに挑みます!」

カーナビから流れてくるテレビ音声では、アナウンサーが興奮してまくしたてる。


「Gooooooh!!」

カーナビのテレビから流れてくるスケボーの滑走音は、うまく表現できないが、これまでのオリンピックでは聞いたことのない「sound」。


もしかしたら、この「sound」が「noise」に聞こえる人もいるのかもしれない。

長年、住民との騒音トラブルや迷惑行為で、若者の反社会的な象徴とされてきた「スケートボード」がオリンピックの競技になるなんて。それも歴(れっき)とした「スポーツ」として認められる日がくるなんて、これまで「体育」から派生する「部活動」中心の「昭和のスポーツ」感からは考えられない話ではある。


前編で話した「地区高総体のお偉いさん」ではないが、いまだに、「昭和のスポーツ」感満載の人にとっては、おそらく「スケートボード」をスポーツとして認めたくないだろう。


「おほほー、スゲー、ヤバいですねぇー」

今までに聞いたことのない解説者のコメント。中山楓奈さんという高校生が高得点をだしたらしい。


「田瀬」に行く「行路」で停車したあたりで、再び車を道に停めて、映像を見ることにした。

小さい画面ではあったが、それでも「スケボー」のトリックのすごさは伝わってくる。

そして、競技場をとりまく世界観。

これは、スポーツなのか?



自分のテイクを終わった選手の誰もが「笑顔」になっている。

ビックトリックを成功させた選手も、残念ながら転んでしまった選手も。

そして自分のテイクが終わると、国籍も関係なく、皆が選手のプレイを称える。

これがオリンピックなのか?



「田瀬」に行く「行路」で見た阿部一二三選手は間違いなく今まで見てきた「オリンピック」の景色そのものだった。

そして、「恥じることのない」よう精進する姿もこれまでの日本選手に見られた「オリンピック」の姿だった。


しかし、この小さな画面で躍動する選手たち、中学生の西矢選手や高校生の中山選手の姿は、「どうだ、スゲーだろ」という自分の技の発表会を見せてくれているようだった。



僕らは今まで、「メダルの数を競うもの」「敵に勝つもの」という「オリンピックの呪縛」に縛られてきた。

だが、目の前で躍動する「彼女たち」は、「オリンピック」という最高の舞台で、自分の最高の技を披露すること、に挑んでいる。

そこには「敵」や「味方」などなく、あるとすれば「己との闘い」、「自分を超える」闘いのみである。


考えてみれば、アメリカや中国、ロシア(今回はROC)らの大国を敵とみなし、メダルを取ることで国民の団結を生む手法は1984年のオリンピックで終わったはずだった。

しかしながら、いまだに「メダルの数」や「国の威信にかけても○○国だけには負けられない」といったような、前時代的な考えがはびこっている。

(日本だけではないが・・・)

そこには、「中総体」や「高総体」など学校単位での「部活動」の延長線上として、上下関係を尊び、根性論を前提とする「体育会的」な遺伝子が私たちの中に潜んでいる。

「阿部きょうだい」はその中で生きなければならない「重荷」を背負っているような気がする。


JOC会長の山下泰裕さんが言っている。

”今まで一番緊張したのはロサンゼルス五輪です。ただ不思議なのは、世界選手権では「日の丸」ということや、日本柔道を背負うことを意識していたのに、五輪は全くなかったんです。僕の夢だったし、何としても自分の夢を実現したいという気持ちの方が強かった。ものすごく緊張したけれども、自分自身のために戦うという気持ちが上回ったんですね。”(2000年1月26日付~シドニーオリンピックを前にしたインタビュー~:日刊スポーツアーカイブより)

今回のオリンピックをめぐるゴタゴタで、いろいろと物議を醸しだしたJOC会長の山下さんだが、ロサンゼルスオリンピックは「自分の夢を実現したい」という気持ちで戦っていたのだ。

ぜひ、「あべきょうだい」には、これから自分のために闘ってほしい、と思う。


その意味で「スケートボード」は、時にはライバルどうしが教えあうという「オープン」な世界の上での、様々な技を研究し自分に勝つ闘いを見せてくれている。

スケボーだけではない。自転車のBMXだって、あんな技だせねーよ、っていう技と技との闘いがこれからの「かっこよさ」になっていく。

「多様性」や「共生社会」の中で、「個」を大切にする・・・

これが、これからの「オリンピック」のスタンダードなのかもしれない。





もうすでに時間は正午を過ぎていた。

セミの鳴き声も聞こえなくなっていた。


カーナビのテレビでは、

「西矢楓、真夏の大冒険!!!!」

とアナウンサーが興奮して実況している。



これまでの「オリンピック」では味わったことのない、さわやかな気持ちでもう一度「フレアワゴン」をスタートさせた・・・。



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