生まれ来る子供たちのために

「生まれ来る子供たちのために」はオフコースが1980年に発表した18枚目のシングル。

当時は小学生だったぼくは、中学生になってからオフコースを聴き始めたこともあって、アルバムの中の地味な1曲というイメージしかないが、前作のシングルは「さよなら」、次作は「Yes-No」と、オフコースの絶頂期に発表されたシングルらしい。


この曲がある映画のエンディングに使われたのは、2012年のこと。

この年ぼくは、ある映画の原作者である偉人を顕彰する担当課に配属された。

いや配属されたんじゃなかったな、新しく作ったんだ偉人課を。


課員は5名。新しく作ったのはいいが、予算はゼロ。引き継いだファイルは1冊。なにをやるかはこれから考える・・・。

今考えても凄すぎる・・・。

大企業の研究開発プロジェクトもこんなのかしらん。んなわけないか。


一応、トップ肝いりのプロジェクトだから、こういうときにプロジェクトリーダーはどうするか?というと、実績を作りたいので仕事を作る。

それが市民のためになるかはさておき仕事を作るのだーーー


その仕事の一環がある映画のプロモーションのお手伝いだったわけだ。

プロモーションのお手伝いというよりは、プロモーターの幇間か!みたいな仕事で、上映会を企画して、チケットを団体に割り当て、みんなでみよう!という市民運動というか偉人啓蒙活動を行ったのを思い出してきた。


とても出来が良くて、ぜひみんなにみて欲しい!!という作品であればそれはそれでやりがいのある仕事だったかもしれないが、この映画は無残だった。


有名な俳優が主人公の声で出演したことから話題にだけはなったが、いかんせんその内容はお粗末で、そのひどさは映画のレビューにいっぱい書かれているのでここでは触れないが、上映会に来ていただいた方に「申し訳ない」と心の中で思っていた。


これは、決して偉人をけなしているのではない。

偉人原作は、難解な作品群の中でも、子供にもわかりやすくメッセージとして伝える価値のあるテーマだと思う。


この映画原作を改変しているばかりか、わけのわからない別作品のオマージュ、大事なところを光の多い演出でうやむやにしてしまう技法、そしてなによりもクライマックスの非論理的な自己犠牲・・・・。

原作では主人公は生き別れになった妹にも会えて救いがあったのになぁ・・・


とにかく、当時は映画の内容がお粗末であると皆うすうす気づいていながら、それでも「映像がすばらしい」とか「音楽が作品とあっている」とかまあそんな感じでしたよ。


なんかこの頃から仕事に対するやりがいを失っていったのは事実で、ぼくは「絶対おかしいぞ、なにやってんだ」って思ってながら自己主張もできず、いいヒトと仕事の狭間で、偉人課2年目にはそろそろプッツンというところまで来ていた。

                            (つづく)



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