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ジジイになって辛い、上の世代がしんでいくからね、あと昔の予備校2024
当たり前なんだが、自分の父親世代はこの世にいないことも多い。
もしも三十歳のときに、私が生まれた父親がいたとしたら、もう87歳だ。
だから「戦前、戦中、戦後間もない世代」から、時系列で何かが語られることは少なくなってゆく。
まあ本当に当たり前の話なんだが。
最近驚くのは「団塊の世代」が「しぶとい世代」として語られることが多いこと。
学生運動やら何やらを実行したり間近に見て来たりしていたから、ということらしいのだが、この世代は「戦争に行ってきた」父親世代からさんざん「苦労マウント」を取られてきた。
団塊の世代よりずっと年齢が下の私も経験があるのだが、とにかく「戦時中」を「苦労」の基準として語られることが、80年代くらいまで多かった。
「仲間が目の前で殺された」とか「犬を殺して食った」とか、苦労がシビアすぎるんだよ。戦後の平和な時代にその苦労が基準になるわけないだろ。
でもみんな黙ってた。
年寄りを怒らせるとロクなことがないからな。
だから団塊の世代には「苦労マウント」をとってくる彼らの世代に過剰に適応するか、憧れるか、あるいは強く反発するといった生き方が観られた。
そのうえで「しぶとく見える」ことは心にとどめていた方がいい気がする。
そういえば、戦争には行っていなかったみたいだが86年当時、かなり高齢だった予備校の先生が、ことあるごとに、当時、予備校講師として多かった団塊の世代をバカにする発言をしていたことを覚えている。
どうやら、その高齢の予備校教師が60年代か70年代に高校の教師をしていた頃、学生運動が高校にまで波及し、メチャクチャにされた、と恨みを持っているらしかった。
しかし当時予備校生だった自分は、何の話をしているかわからなかった。
後になって思ったが、
「そんなこと、当時の浪人生に言われてもわかりませんよ」
としか言いようがない。
最近のことは知らないが、80年代の予備校教師は花形だった。野球選手みたいに年俸契約で保証がない代わりに、人気講師は多額の収入を得ていたと聞いている。
だが一方で、優秀な人が集まっているぶん、「大学の教授になりたいけどなれなかった」人や、アカデミズムに対して妙なコンプレックスを持っていた人も多かったね。
その「団塊の世代の悪口を言っていた講師」も、アカデミズムに未練があるようで、そういうのを観るのは悲しかったな。
一流予備校講師なんだから、もうちょっと堂々としてろよ、と思ってました。
おしまい