爆発的な怒りを抑える、おれはセルフコントロールできている
「笑い」の文脈において、赤の他人や、ある種のカテゴリ(大学生、アルバイト、実家暮らし、意識高い人、低い人など)を中傷するならともかく、最近は「自虐」もダメらしい。
言っておくがあくまで「笑い」の文脈での話である。
80年代、某有名フォーク歌手が、名前を出さずにビートたけしを「他人を攻撃するような笑い」だからと嫌悪感をあらわにしていた。
そんな彼は、自分の髪の毛が薄いことをよくネタにして、自身の持ち歌で替え歌までつくってファンを笑わせていた。
この人には明らかに「笑いとは」という確固たる見識があり、だからこそ他者を批判できたが、そういうのもアウトらしい。
まったく納得が行かない。
そもそも、「お笑い」とは通常の意味での自己実現のツールではない。
普通じゃないことをするのがお笑いだから。
「自虐」って「自己肯定感が低くなる」みたいな、そんなに単純なものじゃないはずだ。
社会的にワリを食っている立場からの「逆襲」の側面があるのだ。
とんねるずが「おれたちゃ高卒だあああああ!!!!!」と叫んだとき、そこに自虐以上のものがあったのだが。
あんまり好きなジョークではないが、乙武君が「手を携えていきましょう、自分は手がないけど」的なことを言うのも、一種の「挑発」であるのは自明のはずだ。
「おたく」も最初は侮蔑語を逆手にとった呼称である。もともとは侮蔑語だったことに意味があるのだ。今やそういうのは忘れ去られているが。
だいたい、芸人の自虐が当人の自己肯定感を低めるのなら、役者が自己肯定感の低い役をやってもダメということになってしまう。
最近はそういう「見えない存在」が価値観を決めていることが多くなった。
いちおう断っておくが陰謀論のことじゃないぞ。陰謀論なんてないんだからな。
おしまい