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関西Kaggler会交流会取材のこぼれ話

文系人間が感じたKagglerとマニアの違い


2024年11月8日、私は大阪の某所で開催された関西Kaggler会交流会を取材した。詳細な内容は「データのじかん」に掲載する予定なので、ぜひそちらをご覧いただきたい。ここでは、こぼれ話や感想を書きたいと思う。

関西Kaggler会交流会は、関西Kaggler会が定期的に開催している交流イベントだ。Kagglerとは、機械学習・データ分析を中心とするコンペに参加する人たちを指す。言わば機械学習やデータサイエンスといった「理系」の世界だ。

一方、私は文学部歴史学専修卒業のド文系人間であり、現在の仕事も文系寄りだ。そのため、Kaggleの世界は私にとって非常に遠い存在だ。距離に例えるなら、神戸と南アフリカのヨハネスブルクほど離れているように感じる。

それでも、私は関西Kaggler会交流会の取材を楽しみにしていた。普段接することのないタイプの人々や、彼ら・彼女らの考え方に触れられるからだ。理系ならではの合理的な思考はもちろん興味深いが、印象に残っている点は、Kagglerとしての「勝負師」の一面だ。

彼ら・彼女らの言葉の端々から、「負けたくない」という気持ちがさざ波のように伝わってくる。この「負けたくない」という思いが、単なる「マニア」との違いなのかもしれない。

「マニア」は身内で楽しむことを主眼とする。知識量で勝負する姿を散見するが、これは勝負とはまた違った世界だ。一方、Kagglerは勝負をしている。コンペへの思い入れは人それぞれだろうが、確固たる目標が存在することは確かだ。

Kaggler等の知的人材は活かしきれているのか

一方で、これはあくまで私の肌感覚に過ぎないが、日本社会は、まだKagglerの能力を十分に活かせていないように思える。そもそも、Kagglerの存在自体が十分に認識されていない印象すら受ける。

少し話が逸れるが、日本では生産性向上が叫ばれている。「もっと労働者は働くべきだ」という声も聞こえるが、Kagglerのような知的人材を活かしきれていないことも一因ではないだろうか。彼ら・彼女らが活躍できるプラットフォームを整備することが、生産性向上にもつながるのではと思う。



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