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遊びは学び

遊びの可能性

みなさんはスリッパはどのように使っていますか?

99%の人は、履いて使うと思います。当然です。私も履いて使っています。

何が言いたいのか分かりませんよね笑

質問を変えます。

スリッパは履く以外にどうやって使えますか?

まだまだ「??」がありますよね。テレビだと頭を叩くときに使いますかね。いい音がなるのはうまい叩き方で、痛いのは鈍い音がするって中居君が言ってましたね。最近はそういったものはコンプライアンス的にだめなのかなぁ笑

うん。そろそろ本題に行きます。我が子はスリッパをこう使います。


スリッパの可能性

トミカを運ぶ基地のように使うのです。

言われてみるとなるほど。と言いたくなりますが、スリッパ単体を見た時にこの構想がはたして大人に見えるでしょうか。

つまり、スリッパを基地に「見立てている」のです。

この「見立てる」ということが子どもの想像力を刺激することで、遊びが学びであることの真骨頂だと思います。

子どもの遊び

大人の遊びというと、あなたは何を思い浮かべますか?

パチンコ。麻雀。競馬。ゴルフ。といったところでしょうか。

では、子どもの遊びというと、何を思い浮かべますか?

トミカ。おままごと。リカちゃん人形。などでしょうか。

スポーツやゲームもありますが、大人も取り組むので今回は省きました。

さて違いに気付くでしょうか。

私が注目してほしい違いは、子どもの遊びには決まった遊び方がないものが多いということです。遊び方がないゆえに状況やルールを設定します。ここで想像力を鍛えられ、何にでも楽しさを見いだす力が育ちます。

例えます。

トミカで遊びためには、設定を作らなくてはいけません。火事や事件がおきたり、悪者が登場したりとないものを想像することで、トミカで遊べます。

人によっては、ルールを作るかも知れません。あの線のギリギリまで走らせた方が勝ちで通り過ぎたら失格。とか。

おままごともそうです。クレヨンしんちゃんのねねちゃんのように、空想(というかもはやドラマ笑)に近い設定を組んだり、保育園の状況をまねてみたりと、様々です。

役割になりきる必要だって出てきます。お母さんやお父さんのように実際にいる人物になりきるなら分かりやすいですが、店員さんやお客さんなど特定の人物ではない場合は想像しなくてはいけません。

リカちゃん人形も同じです。むしろリカちゃんこそ、現実にいないキャラなので、登場人物もまったくの創作キャラである必要があるかもしれません。

そういった遊びで過程で、スリッパを基地に見立てたり、ソファーを山に見立てたり、電池をウインナーに見立てたりすることで想像力が刺激されます。

そういった遊びの過程で、だれかになりきることで、誰かの気持ちを想像することができるようになっていきます。低学年の道徳の授業でロールプレイングがよく用いられるのはそのためです。

子どもの遊びには、想像力を鍛える、相手の気持ちを想像するという非常に重要な学びが隠れているのです。

大人の遊び

一方、大人の遊びはどうでしょう。言葉だけ聞くとちょっと卑猥なニュアンスがしますが、私はいたって真面目ですよ笑(真面目という文に笑がついているのは変ですね)

大人の遊びには、ゴールがしっかりありますよね。どういう状態になったら成功というか良いというのが明確です。

パチンコは当たりがでて玉が多く出たら良い。
麻雀は勝てたら良い。
競馬は自分の予想が当たれば良い。
ゴルフは早く穴にボールを入れたら良い。

ゴールがしっかりあるため、ルールもしっかりしています。そのため自分で設定する必要がありません。というか設定してはいけません。ルールを勝手に決めると公平ではなくなるからです。

ゴールがしっかりあるので、楽しいという感覚が得やすいです。ルールがしっかりしているので、プレイヤー同士で争いごとが起きにくいです。

だから最近は大人の遊びを好み、子どもの遊びを退屈に思う子どもが増えています。間違ってもパチンコや麻雀を子どもがするということではないですよ。

ゴールが明確にあり、ルールがしっかりしている遊びを好み、想像や設定をしなければいけない遊びを退屈・面倒に思うということです。

これは学校現場でもそうです。子ども同士のトラブルを防ぐために、教師も子どももルールの統一・徹底したものをよしとします。それ自体は悪いことでもなく大切なことではありません。

ただルールや設定を作り上げることをしなくなっていることを危惧しているのです。

昔の人は考えました。学校に持ってきていい物で、何か遊べないか。

そんな思いから消しピンや定ピン(定規でピン)が生まれました。アルプス一万尺の手遊びが生まれました。両手の1本指から始まり、5になったら消えるという遊び(名前を知りません)が生まれました。消しゴムを投げて素早くキャッチし、どっちの手にあるのかという遊びが生まれました(伝わりますかね?)。

それがいつからか誰かが考えた物を踏襲するだけ。はたまたTVや先生が紹介したものをそのままやるだけ。自分なりに工夫をするわけでもなく、最終的には「何が面白いの?」とあきれ顔をするだけ。

遊びを通して学びを得る。その学びは想像力や相手を慮る心など計り知れません。

作られたものではなく、作り上げる遊びをする時間を確保しようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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