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考えないために考える

居場所

私は昨年度まで居場所づくり支援員として、公立中学校で働いていました。様々な理由で教室に入ることが出来ない子の支援です。先日、私がずっと関わってきて今年度から高校生の子から手紙が来ました。学校に休まず通っているとのこと。すごいですねぇ。

また、作品展の案内もされていて、行ってきました。さすがはデザイン学校。プロだなと思うくらいの作品ばかりです。そこらへんで売られていたら買ってしまいます笑。

私が関わっていた子の作品ももちろんとても上手で、ほんと買いたいと思いました笑。売ってくれないかな笑

さて、話は戻りますが、私は居場所づくり支援員でした。

当然、居場所とは何か。どうしたら居場所と感じるのか。ひいては幸せとは何か。自立とは何か。などと、いろいろな本や文献を読みあさり、自分でも考え抜きました。

その中の問いの一つに、「居場所がある人は居場所についてどう考えているか」がありました。みなさんはどうお考えですか?

居場所があるかどうかは主観的な感覚です。つまり、こういう状況だったら居場所があるといえるよねというのはありません。

簡単な例をあげると、学校に通えていない子も在籍は必ず学校にあります。クラスもあって、靴箱もあって、机も教室にあります。登校すれば居る場所はあります。しかし、本人は学校に居場所があるとは思っていないはずです。

では、友達がいれば居場所と感じるのでしょうか。

それもそうとは限りません。友達は確かにいてしゃべれはするが、それは友達がいるという感覚であり、そこに居場所があると思うかはまた別です。

あなたには、居場所はありますか?もし、そうであるならば居場所についてどうお考えですか?

考えるのは満足していないから

さて、先ほどの問いに対する私の考えを言います。

居場所がある人は「居場所について考えていない」です。もしくは、居場所は「ここ」というくらいでしょうか。

居場所というのは、物体がありません。心の中のもの。人間が作り出した概念です。つまり、それが必要な人は使いますが、必要ではない人にとっては使うことがありません。つまり、満足している人は、居場所という言葉自体存在しないのと同じです。

だから、「自分の居場所がないな・・・」と思う人にとっては居場所とは何だろうと思考が始まりますが、居場所があり特に不安に思うことがない人にとっては考えることすらありません。

目指す状態

居場所について私の結論は、「居場所について考えなくなることがゴール」ということです。先ほども言ったとおり、居場所がないと不安になるときに、居場所の思考が始まります。そして考えれば考えるほど、自分に居場所がないなと深みにはまっていきます。

これは、他の主観的な感情についても同じだと思います。

よく論議される「幸せ」

幸せになるにはどうすればよいか。古代の哲学者達も考えてきた王道ど真ん中の問いです。これを先ほどの理論で考えると・・・

幸せになるには「幸せについて考えない」

「幸せになるには?」と考えるのは、幸せなときではありません。幸せではないと感じるときです。だから、そもそも幸せについて考えなければ、自分が幸せではないと思うことすらありません。

学校の問いの王道「なんで勉強しなきゃいけないのか」

大人の問いの王道が「幸せ」だとしたら、子どもの問いの王道は「勉強」ですね笑

「なんで勉強しなきゃいけないのか」

子どもの頃、一度は考えたことあるのではないでしょうか?または、子どもから一度は聞かれたことがあるのではないでしょうか?

あなたはどんな結論でしょうか?そして、その答えに納得していますか?

そう。その答えを聞いて、「なるほど!そうか!」となりましたか?きっとなってませんよね?

その真実も先ほどの理論で説明できます。

勉強がうまくいかないとか、全然できないという時に「なんで勉強しなきゃいけないのか?」と考えるのです。もともと、勉強する理由を探しているのではなく、勉強しなくてもいい理由を探しているのです。だから全然納得できない。

考えるときは不満足なとき。だから考えれば考えるほど、より不満足になっていく。とすれば自然と、新たな疑問が浮かんできます。

「考えないためにはどうすればよいか」

これは言うほど簡単ではありません。だって考えようと思って考えているわけではないから。そして現実はそう簡単に変わるわけでもない。

居場所はすぐにはできないし、幸せだってすぐには感じない。勉強も劇的にできるわけでもない。不満足だと考えちゃう。さあ、どうしましょう。

私の答えは「ちゃんと考える」です。

今から説明するので、そんなに怒らないでくださいm(_ _)m

改めて確認をします。目指す状態は「考えないこと」。正直考えてもどうしようもないことばかりです。具体的行動を積み重ねない限り変わりません。居場所も幸せも勉強も。考えることで解決するなら、とっくに解決しています。

でも考えちゃうんですよね。分かります。勝手に考えちゃうのが実はよくないのです。勝手に浮かんでくることを考えるのではなく、具体的行動を考える。積み重ねると解決に向かうであろうこと。ここを徹底的に考え抜きます。

決して効率的でなくてもいい。科学的でなくてもいい。むしろ自分なりの答えがベスト。

そして考えたあとに魔法の言葉。

「今できることは変わるか?」

お気づきの方もいらっしゃるでしょう。考えることは止められませんが、考える方向性を変えることはできるのです。そもそも論ではなく、具体的行動論を考える。これに尽きます。

そして、またそもそも論を考え始めたら自分に「今できることは変わるか?」と問いかけます。するとだいたい変わらないので、具体的行動をどうやったらできるかということに思考が向かいます。

自分の一例を示します。

居場所をつくるには、一緒にいる時間を増やす。

幸せになるには、目の前から学ぶ。

勉強ができるようになるには、自分の頭から出す。

こう結論づけています。そう結論づけてからは本当に一切のくよくよ考えタイムがなくなりました。

考えないようにするのが実は一番の近道。あなたはどう考えますか?

お金

大人の悩みの王道と言えば、お金もあるでしょう。お金も同じだと思っています。老後のお金は足りるだろうか、教育費はどれくらいかかるだろうか、怪我などをしたらどうしよう。そんな悩みです。

これも私の結論は同じ。お金について考えないことがベストだと思っています。基本的に日常の買い物もお金を判断基準にしていません。安いから買う。お得だから2つ買う。そういったことはしません。

必要なものを必要な分だけ必要なときに買う。

将来については、今の状況で今必要だと思うことを今できる分だけする。これだけです。不安材料があり、何かを考えたところで、今できるは変わりません。

「今できることは変わるか?」

そんな折りに見たnote。ともに子どものお金教育を推進するNPOの理事である、みなみさん。お金に振り回されないという目的だったのに、結局自分がお金に囚われていることに気付いたとあります。

すごく共感しました。お金「で」教育する部分とお金「の」教育する部分。ごっちゃになりそうになるんですよね。

お金教育のためにお金を意識させない。すごく深い意味がある記事だと思います。ぜひ一度ごらんください。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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