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『壁と卵』から考えるシステムと私

昨日は村上春樹さん著『雑文集』に掲載されている『壁と卵』のスピーチ全文を題材に、ほんじゃーにーで話した。

かなり有名なスピーチなので、知っている方も多いかもしれませんね。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。

『壁と卵』

壁には名前があり、システムと呼ばれると続ける。卵は人間の比喩だ。

有名な部分の引用以外も非常に素晴らしくて、ぼくはその内容について、改めて読み返して感動した。

村上春樹さんは、イスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」を受賞したのだけど、受賞を辞退すべきだという声が日本国内であがっていたそうだ。

なぜか。

この授賞式が行われる直前、イスラエル軍はガザ地区に大規模な空爆を仕掛け、多くの方が犠牲になっていたからだ。

それでも、スピーチをした。

比喩をもちいて市民への弾圧を批判したのだ。

2009年に語られたことではあるけれど、話さないではなく話すことを選んだ、このスピーチは今もなお心に響くし、問われ続けるものだと思う。

システムと私

ぼくも仕事のなかで、うまくチームが連携を取れるように、少なからずシステムを構築しようとしている。

よかれと思って決めたルールがいつか、人をしばるものになるかもしれない。

いま世の中にあるシステムやルールも、もとは人の幸せを願って作られたものがほとんだろう。

だけど、そのシステムがときに卵つまり人を壊してしまうということを忘れてはならない。

村上春樹さんの壁と卵のスピーチは、いまパレスチナ・ガザ地区で犠牲が広がるなか改めて注目されているという。

卵を潰すものではなく、守るべき壁であることを祈る。

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