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20220410七沢温泉
何かがぽきん、と折れる音が、たしかに聞こえるときがある。たとえば、私にはどうしようもない関係の相手に、私にはどうしようもない要求を、強めの語調でぶつけられた時とか。
金曜の午後のたった4時間くらい、私がいないことで何も変わりはしないと思って、たっぷり残っている有休を消化することにした。
白髪が目立ってきたのが、気になって仕方なかった。年齢のせいもあるが、職場でストレスを感じると増えるものだと気づいた。まずは美容院に行こう。昔実家で飼っていた猫もハムスターも、ことあるごとに身繕いをしていたことを思い出す。自分の身を、自分の納得いくように整えることは、きっと精神のために必要なんだと思う。
畳まれない洗濯物を家に置いて、美容院に行って、そこで食い入るように「東京から日帰りで行ける温泉特集」を読んだ。とにかく行ったことがないところに行って、静かに過ごしたかった。
そして今日。日曜日。暑い。東京は最高気温27度。朝、習慣でタンブラーいっぱいに淹れたホットコーヒーは置いてきて正解だった。駅まで歩く気力もなく、ご年配で席の埋まっているコミュニティバスに乗った。
小田急本厚木駅。初めて降りた。厚木は住むところであり、観光に来るところではないと思っていた。駅周りは繁華街という感じで、若い人が多い。
七沢温泉行きのバス停を探す。
宿泊客は送迎があるのだが、市バスは1時間に2本ほどしか来ないようだ。少ない。
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もしかして私が思っているより奥の方かもしれない……。いつも地図アプリに頼っているので不安になり、念のため旅館のHPを開き、「アクセス情報」から地図画像をダウンロードする。
乗車して10分。名前の知らない山々。(丘と呼んだ方が正しいのか?)畑。それから何かを焼くにおい。本厚木の駅周りから想像つかない雰囲気に驚いた。旅行に行くたび、私は日本のどこにどんな風景があるか知らないんだなあと、あまりの世間知らずに恥ずかしくなる。東京からたった2時間の景色でさえ知らない。
私の育った町は東京23区外の住宅街で、家と電柱と電車ばかりがあった。こんなに近くに山を見ると、郷愁で胸がいっぱいになり、強烈にどこかに帰りたい気持ちになる。(田舎育ちの知人にこの話をすると、ばかにするな、君の育った町もたいがい田舎だぞと言われる。)
バスの中はおそらく全員が観光客だった。30分ほどで目的の停留所に着き、皆同じ場所で降りた。
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ところどころ、まだ葉になりきらない桜が差し色になっている。空が広くてほっとする。
圏内であったので、自信を取り戻して地図アプリを開く。目的の旅館まで歩いて15分ほど。ちんたら歩く私の足だと20分くらいだろう。
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ここはきっと桜が満開の日にはもっと美しかったはず。
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こういう土地の使い方は知らなかったなあと思わず撮ってしまった。
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ついた。元湯玉川館。
戸を開けるとすぐに和装の若い女性が「お立ち寄りですか」と声をかけてくれた。若女将だろうか。
受付で貴重品を預け、支払いを済ませてタオルを借りる。浴場は廊下をつきあたって左の渡り廊下を渡り、右側とのこと。
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ぎしぎしと音を立ててきしむ廊下を進む。
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電話がレトロでかわいい。
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脱衣場と浴場には私を入れて4人ほど。若い女の子も、おばちゃんも、おばあちゃんも。浴槽はこれで定員かもしれない。こじんまりしている。
「いいお湯」というのが、どういうものかを知らないが、とろみがあってちょうど良い湯温だった。
大窓から庭を眺め、仕事のとりかかる順序のことや、返信の溜まっている連絡のことを頭の中で整理し、それと同時に、何も考えたくない、何を考えても今は仕方ないと思っていた。
温泉に浸かれば日頃の疲れを洗い流すことができて、何かがガラリと変わるような期待をしていた。そんなわけがない。ただ風呂に入っているだけだ。状況が変わるわけではない。私の性格が変わるわけでもない。急に身体中にエネルギーがみなぎるわけでもない。
風呂を上がって、髪を乾かす。自宅だと面倒でうんざりする時間だが、ひとりで来た温泉や銭湯でのこの時間が好きだ。誰かを待たせてしまう焦りを感じなくてもいい。自分の髪を乾かすことだけを考えていればいい。
カフェが併設されている。これもまたレトロな雰囲気がとても良い。チーズケーキと悩んで、キーマカレーとコーヒーのセットをいただいた。美味しかったが、お陰でこれを書いている今この瞬間までたまらない眠気とたたかっている。チーズケーキが正解だったのかもしれない。
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温泉に浸かったところで何かが変わるわけではないが、自分ひとりのために時間を使ったところで何も変わらないことも分かった。
本当はいつまででもここでコーヒーを啜っていたかったが、そういうわけにもいかない。次に来るときは時間を気にせず過ごせるように部屋を借りよう。ハイキングコースを歩けるようにスニーカーで来よう。
立ち寄り客のために、受付をしてくれた女性と男性がわざわざ「お気をつけて」と見送りをしてくれた。気恥ずかしいなと思いながら、帰りのバスを待つバス停へ向かった。
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