騎乗重装歩兵としての戦国武士と現代の陸戦
有料記事になっていますが、非常にいいインスピレーションを受けた記事で買ってよかったです。
戦国時代の戦闘の研究を進めてきましたが、戦国時代の戦い方は非常に合理的かつ柔軟であり、現代の陸戦においても役するところが多いと考えています。
それに非常に近い内容だなと思いました。
ジョン・ボイド大佐の考案したOODAループも、ボイド大佐の実戦経験に加えて、流祖・武州玄信公の『五輪書』に触発され徹底的に研究した上で考え出されたものでもあったりします。
なぜか軍事系のOODAループの解説にはこのことは全く触れられていませんが、経営系のOODAループの解説にはジョン・ボイド大佐の座右の書が『五輪書』であり、OODAループの考案にあたって『五輪書』を徹底的に研究したことが明記されています。
またOODAループという名称自体が『五輪書』の「地・水・火・風・空」の五巻になぞらえて(O・O・D・A・ループ)命名されたものでもあります。
つまり、現代の陸戦における指揮統帥の原則の一つでもあるOODAループと、戦国武士の兵法の集大成でもある『五輪書』における戦い方は、その構造において非常に近似しているということです。
(OODAループが五輪書を参考にして組み上げられたものなので、当然といえば当然ではありますが)
よって、戦国時代の戦い方の研究は、とりもなおさず現代の近未来の陸戦を模索する研究においても非常に強力な要素となりうるということでもあります。
これを成し得るには、現代戦のみならず、戦国時代の兵法を実体験することが必要であり、兵法二天一流・武道剣術を修業している私の目標もそこにあります。
将来的には二天一流の武道剣術をベースに、古流柔術の修業と現代の軍隊格闘術の修練を通して編み出した兵法二天一流・体術、そして古流弓術の修業を通して得た射撃戦を含む戦国の兵法の研究を土台にして、大分の兵法を究明し、そこにPMCでの実弾射撃訓練を通して得た知見、そこから独自に研究を重ねた、現代兵法へと発展させて戦国から現代までを総括・統括する兵法の理論体系を構築していきたいところです。
平たく言い直しますと、江戸時代初期に止まってしまった日本の軍事の発展の時計の針を再び動かし「もし元和偃武で軍事の発展が止まらずに、日本が独自の軍事学を発展させていたら」という世界線を現実のものにするのが私の大志です。
それこそが真の「日本流の戦争方法」の確立であると信じています。
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閑話休題。
引用した記事の編成ですが、従来の師団、旅団、連隊ではなく、近接戦闘、縦深打撃戦闘、後方支援に分けて規模も建制も全く新しい様式を提示しているのが非常に興味深かったです。
師団、旅団、連隊なども、原点はナポレオン戦争時代であり、当時の戦闘様式に合わせたものであったため、あらゆるものが当時と異なる現代もナポレオン戦争時の様式に固執するのは合理的とは言えないでしょう。
実際、戦国武士もそういったキッチリした編成を取っていませんでした。
厳密には、戦国武士だけをパッケージングした「戦場の缶切り役」たる騎乗重装歩兵たる「馬上衆」の備えについては極めて柔軟な編成を取っており(これは騎乗重装歩兵の単一兵種であるという利点からそうできる)、もう一方で少数の武士が多数の足軽・雑兵を指揮する足軽衆においてはかなり数量的合理性を重視した編成がなされていました。
また、戦国武士の軍隊は武士と足軽の二重構造だったのみならず、いわゆる「領主別編成」と「兵種別編成」を行ったり来たりする編成を取っていました。
そこには寄親-寄子の関係から、各地での戦力の保持・培養を行い、合戦の時に合理的な編成に組み直すということが行われていました。
また、従来は軍事的に小規模かつ未熟なものとして考えられていた「領主別編成」ですが、これは少数の規模で即応的機動的に行動でき、地場に精通し、阿吽の呼吸で動ける小規模戦闘群とも言え、対テロ・コマンド戦において非常に適しており、また戦力培養という観点でみれば郷土聯隊的な役割も果たすものであると言えるかもしれません。
なので、ナゴルノ・カラバフ戦争からウクライナ茶番戦争に至る直近の大規模な正規軍同士の戦いと、PMCや傭兵、ゲリラやテロリストが混在する低強度紛争、そしてこれらが混在するハイブリッド戦争の形態においても、戦国時代の軍事編成は再検討する価値のあるものと考えています。
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なので、この近接戦闘群、縦深打撃群というアイディアについても、前者は「馬上衆」、後者は「足軽衆」という形で対応するとも言えるでしょう。
もちろん、戦国時代でも武士が戦力の中核を占めていましたが、足軽という要素が入ってきたことで、鉄砲の集中運用や、足軽大将の指揮する足軽部隊による街道封鎖、残敵掃討、といった側面的任務によって武士がより正面戦闘に集中しやすくなったとも言えます。
実際、織豊政権軍は、通説とは異なり、足軽ではなく武士層に非常に偏った軍事力構成になっていました。
しかも東国大名である武田や北条と比較して数理的合理性はほとんど考慮されておらず、逆にそういった近代的数理的合理性を無視した、前近代的な野蛮性を最大限に発揮するような編成で天下統一を成し遂げました。
また、この近接、打撃に大きく分ける考え方は、ゲリラや民兵から正規軍へと積み上げて質的に変化していくプロセスにおいて非常に役に立つとも思いました。
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このアイディアを受けて、私なりに再解釈すれば、近接戦闘群、火力打撃群、偵察遊撃群の三つに分けることが出来ると思います。
当初はゲリラ・民兵部隊においては歩兵のみの単一兵種からのスタートですが、それも武士の発展史と同じ構造のプロセスを辿っていき、三つの戦闘パッケージに再編成していくことで、ゲリラ戦と正規戦の両方をシームレスに繋いで行けると考えます。
もともと民兵とテロリストの寄せ集めに過ぎなかったイスラエル軍が、たった60年程度で世界で最も練度の高い軍隊と言われるようなるまでに発展した構造を見て取れば、これらは不可能ごとであるとは言えないでしょう。
さらにイスラエル軍が持っている欠点、イスラエルの政治的・地理的制約条件に伴う偏りを除いて再検討すれば、日本の再軍備に向けた原案が出来上がると考えています。
まだ断片的な研究の寄せ集めであり、体系的に論を展開できてはいませんが、自分の実際の行動を通してこれらを証明かつ具体的・体系的に展開していきたいです。
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