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チャヤノフ、ダーチャ、キブツ、そしてグレーバーへ:自律的生活のための「3つの自由」と自給自足

今日も仕事を適度にサボりながらネットサーフィンをしていて、非常に興味深いものを見つけた。

資本主義が本格的に勃興していく時代に「賃金労働によらない自給自足」を行う小農の理論化を行った、アレクサンドル・チャヤノフの論をベースに、資本主義に絡めとられていく農業とは別の可能性を模索した書籍のようである。

まだ手元に届いてないが、目次を見た限りではそれなりに期待できる内容だと思っている。

農業に関しても関心を持った早い段階で自給自足を志向していたので、かなり目標とするところは定まっている。

それに加えて、人類学の知見や歴史研究などを合わせて、より社会科学の理論的な部分も固まってきた。

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自給自足や自然農法などは、人によってさまざまな取り組む動機があるだろうし、それについてどうこう言うつもりは全くない。

野生の原理に基づき、それらの人は思い思いに好きにやればいいと思っている。

ただ、私自身のスタンスを明確にしていくことは大切であろうから、それについて簡単に述べる。

1.自給自足の目的は、武道鍛練に必要な良質な食料の確保と自律的意志の確立のためである。

人間の身体は食べたもので創られるのは言うまでもない。
江戸時代までの日本人の強靭な心身は、その土台を食事に負っているのは間違いなく、その食事を追求していくと市販の食材では条件を満たすものがないことから、自分で作るより他なしという結論に至った。

また、人間は食事を摂ることなしに生存することは不可能である。
そのため、食糧の確保は政治的意味を持ち、それは「兵糧攻め」という言葉からも分かるとおりである。

将来に渡って日本精神としての武道文化の担い手たらんとするならば、当然に日本を破壊することを企図する敵性勢力との対峙が必然的に生ずる。

これら敵性勢力は非常に強大な権力を背景にしていることが予想されるため、そういった勢力からの兵糧攻めなどに対する長期持久戦体制の構築=自立せる意志の保持のためにも、自らの生存に必須となる物資を自らで生産する必要性に至ったもの。

2.先駆者の存在:ダーチャとキブツ
これらについては先駆者が存在する。
それが、ロシアでのダーチャ(別荘付き家庭菜園)とイスラエルでのキブツ(共産主義的共同農場)である。

ロシアがソ連崩壊のモノ不足でも餓死者を出さず、ウクライナ戦争でのNATOからの経済封鎖などに対応できているのも、国家の食糧生産の8割近くをダーチャが担っており、そのためサプライチェーンが機能不全に陥ってもロシア人は生存に困ることは無い。

イスラエルも同様であり、食糧封鎖は国家意志を屈服させるための武器であると認識しており、それを防ぐために食料自給率100%超えを維持する政策を取り続けている。
それにイスラエル建国前から数十年前までの長い間主力の地位を占めてきたのがキブツである。
キブツは食料生産を担うのみならず、独特な経済文化を生んだことでも有名であるが、ここでは割愛する。

3.「3つの自由」とFIREムーブメントと自給自足
『万物の黎明』において、専制支配に対抗するためには3つの自由が重要であると提言されている。
それは

1.あらゆる命令への不服従の自由
2.移動(逃走)の自由
3.移動先で社会関係を再構築する自由

とはいえ、これらが空文化しないためには、ある一つの大前提が求められる。
その大前提とは「これらの自由を行使するに際し、欠片も経済的不安を覚えないこと」である。

しかし私はこれを実現・保障するためにベーシックインカムというのには反対ではないが疑問ではある。

なぜかといえば、ベーシックインカムは政府に対する従属となってしまう可能性があるからである。

共産主義を標榜する国家が行っていたのは社会主義ではなく、資本家の地位に政府が成り代わっただけの国家資本主義でしかなかったのと同じように、誰がベーシックインカムを保障するのかといえば政府であり、そうなれば生殺与奪の権が企業から政府に移り替わっただけでしかない。

つまり、ベーシックインカムを実施する政府がベーシックインカムを支給するのに条件を付けてしまえばそれに従属せざるを得ないという構造が出来上がってしまう。

だからこそのFIREと自給自足という、自力での生存基盤の確保が必要であると考える。
FIREと自給自足を確立していれば、政府が「ベーシックインカムを止めるぞ」という脅しをかけてきても屈服することはあり得ない。なぜならベーシックインカムに生存を依存していないため「やれるもんならやってみな」という啖呵を切ることが可能だからである。

このように「経済的不安を一切覚えないこと」というのはあらゆる自由の基盤にある大前提であることが分かる。

そのための基盤となるのが自給自足であり、それに加えてどうしても自給自足しきれないものを購入するためのFIREのために培った金融などの実力である。

自給自足経済を行っても、場合によっては固定資産税や社会保険料などがかかることがあり、そのために労働に依存しない金銭的収入源も独自に確保しておけば鬼に金棒となる。

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以上から、小農とは、単に安全な食料とか、節約とか、そういった次元の話に留まらず、いやおうなしに「戦国」化していく国際社会と国内情勢において、自らの信ずる道を貫き通すためにも必須となる頼もしい武器であるという理解でいることが大切である。

その実践とともに、歴史的に野生に回帰するための一助としても用いることができるということでもある。

小農実践はこれからやっていくが、家政学との絡みも含めて政治的経済学、国家學、そして軍事学兵站論などにも広げて展開していきたい。

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