格闘技の練習で得た大切なこと:「負ける覚悟」の深堀り
先週はちょっと風邪気味で休んだ格闘技の練習に本日行ってきました。
今日は久々に立ち技(パンチ&キック)を1ラウンド、そしてグラップリング3分を3ラウンドと、インターバルでグラップリング1分を2回やりました。
今日はグラップリング中に相手の肘がたまたま顔面にゴチンと入り、今も頬骨のあたりがジンジンしています。
今日は体力増強のために「もう無理」というところからさらに一押ししての取り組みでした。
なので後半はへとへとになって、無様に逃げ回るだけで精一杯という状況でした。
そんな状況だったので、もちろん5~6回、首、肘、肩を極められて戦いとしてはボロ負けもいいところでした。
そこでふと感じたのは、これは「負ける覚悟」の一種でもあるということです。
より正確に表現すれば「初めてのことで無様な立ち廻りを晒して笑われることを恐れずに立ち向かう覚悟」と言えるでしょう。
もちろん、格闘技の練習では周りの人はみんな良い人ばかりですので、ほとんど動けなくなって無様に負けたからといって笑われるようなことはありませんが、それなりに歳を重ねてくると、自分が醜態を晒すことを恐れて新しいことにチャレンジしなくなるという危険=精神的退化を大なり小なり皆抱えることになるでしょう。
なので、そういった無意味どころか有害でしかない自己保身を捨てて、積極的、果敢に男らしく主体的に人生に挑んでいく意気を持つこと、言い換えれば醜態をさらすことを恐れて小賢しい自己保身をしてしまう気持ちを投げ捨てる覚悟を決めることが、一生涯死ぬまで右肩上がりで成長していくためには絶対に必要だということです。
私にとっての格闘技はこの覚悟を決めるために非常に役に立ったと思えるものの一つで、今までほとんどやったことのない修斗やグラップリングを通して、ずっとやってきた人達に手玉に取られてボコボコにされて無様に負けるということ自体を恐れなくなってきました。
ある面では開き直っているところもありますが、それを含めて、『五輪書』にあるように「けふはきのふの我にかち(今日は昨日の我に勝ち)」という日々を積み重ねることの大事さを噛み締められるようになりました。
昨日いきなりと言っていいくらいに大型特殊免許を取ることを思い立ち、今日さっそく準備が整ったので明日さっそく自動車学校に入校して教習の予約を取るところまでやってくるという身軽さも、格闘技を再開してそこから毎回思弁的に反省を重ねて、この経験を己の人生にどう生かしていくべきかを考え続けたからでもあります。
また、二天一流の稽古をビデオに撮影して、先生や兄弟弟子の皆様に見て意見をもらうということも、先日行いました。
これも、自分の中では「17年もやっていてまだこの程度か」というのがあり、その恐怖が今まで稽古動画を上げるのを拒んでいたのですが、格闘技で自得したこの精神を基にしてできた部分が多いです。
無様に這いつくばって、泥にまみれていようとも、自分をさらけ出して己を直視し、誰に何と言われ嘲笑われようとも「けふはきのふの我にかち」と思い切ってひたすらに己を磨き続ける。
それこそが人生を形成する最も大切な精神であると感じました。