教育としての林業:宮本武蔵の「百姓生活」と剣技
将来の自給自足「戦国村」構想の一角として、道具やエネルギーの自給自足のために林業(自伐型林業)も行う。
農業と異なり、こちらは商業的な面も含むものの、商業的なのは余剰生産分があればという程度であり商業的な面を前面に押し出すつもりはまったくない。
それよりも興味関心、熱意をもっているのは、タイトルにあるとおり「教育としての林業」。
というのも、林業は農業以上に肉体力を用いなければできない=人間体を素材としても鍛え上げる強度が高いから。
畑を耕すのも一苦労ではあるけれども、木を切り倒すのは農業とは比べ物にならないくらいの労力がかかる。
さらに木を切りに行くまでも重装備を担いで林道をえっちらおっちら登っていかなければならず、それがまた心身ともに強烈な自然環境との相互浸透的鍛練となる。
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ジムなどで身体を鍛えるのと、格闘技や林業などで身体を鍛えることの違いは、全身運動であるということであり、自分以外の抵抗を持つ対象物に働きかけて自分の思い描く現実を実現することにある。
基本的にジムのマシンはウエイトであって、身体の一部位を単調な動きで動かしているだけである。
そのため、何も考えずに体を動かせてしまい、それがメリットでもありデメリットでもある。
一方で格闘技や林業は「相手」が存在するものである。
格闘技では自分を倒そうと攻撃してくる相手がおり、林業では人間の力ではびくともしない大木を切り倒さなければならないといったように、自分の力を拒む相手に対して自分の力が通るように神経力を使いながら、全身の運動で相手に働きかけていかなければ目的を達成することはできない。
そのため、単なる筋肉のトレーニングではなく、筋肉を含めた全身を統括する神経体力、認識体力が必要とされる。
また、それに伴って消化器系などの内臓や、抵抗する相手からの衝撃に耐えるための骨体力など、文字通り「全身」運動であるのが、格闘技や林業の特徴とも言える。
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林業に話を戻すと、林業は現在は能率のためにチェーンソーを使って伐木しており、それを否定するつもりはない。
ただ、教育としての林業は、ここをあえて斧を使って木を切り倒すということを目的意識的に行うものである。
つまり「斧で木を切る」ということがより強力な人間体力の養成に繋がると言う意味で、敢えて効率を無視して斧で切ることをするもの。
もちろん、業として行う以上、ある程度は文明の利器を使う必要もあるので、全てを斧で切っていくというものではない。
そうではなく、商業的林業だけで終わらせるのではなく、林業に従事する時間の一部を「教育としての林業」に充てることで、武道・武術の修練に繋げるということ。
吉川英治の『宮本武蔵』では、主人公の宮本武蔵政名が、法典ヶ原の荒れ地を開墾する百姓生活を送っている場面が描かれている。
そこで得られた人間体力が力技となりそして技として剣技の優秀さに見事に反映していったように、畑仕事の対象である土よりも強固で危険な大木を相手にする林業を行うことでより見事な人間体力を養成しようというのが「教育としての林業」の主眼である。
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近代の日本人は「自然との格闘」といえばどうしても農業という狭いイメージに縛られがちであるが、農業は人類が始めた最初の自然破壊であり、ある意味では田畑というのは人工物に過ぎないとも言える。
山林も植林などをしており、今ではかなりが人工林ではあるが、それでも畑の野菜よりはより自然的であるといえよう。
なので、「自然を相手に格闘して己を鍛え上げる」という点でいえば、農業ももちろんであるが、より広く、林業や狩猟採集を含めて自然の中で生きることを通して鍛え上げていきたいと考えた。
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私の思い描く戦国村構想では、農業は自然栽培・自然農法で行うため、逆に手間や労力がかからない。
それは食料生産に時間や手間を取られずに武道・武術の修業に割く時間を確保するためであるが、同時に農業が「楽な作業」になることから、農業を通した人間体鍛練の効果が薄くなるものでもある。
そこをカバーするものとして、農閑期に林業を施業して、人間体力の養成に繋げたいところである(農繁期は山に蛭が湧くので、逆に林業は厳しい)。
また、林業に限らず、足腰や五感覚の鍛錬としては狩猟採集、林業以上の肉体力の向上も兼ねて鉄工=野鍛冶も併せて行うことを目指す。
つまり、「戦国村」構想の目指す戦国時代~江戸時代初頭レベルの生活の実現は完全に外部からの物資などが無くても自分たちで創り出せるようにしようというものであり、これがひいては生活防衛、そして国防にもつながっていくものである(「兵糧攻め」への耐久力(経済抗戦力)を付ける=長期持久戦体制の確立)。
生活(衣食住+エネルギー)の自給自足を達成することで、外部からの経済封鎖=物資の遮断を媒介とした意志の強要を拒否することができるようになる。
そこから徐々に銃弾、特に火薬の自給自足などの、狩猟道具や近代的軍事生産能力を身につけて行くことを第二弾として目指すが、まずは第一弾である、自分のミクロの生活の自給自足に向けて取り組みつつ、その過程を武道・武術の鍛錬に資する形にしていきたい。
その象徴であり、かつ最初の一歩として「教育としての林業」を位置づけている。