なぜ武士はパクられなかったのか?:リバースエンジニアリングに対抗するために

こんばんは。

今日は、かなりハードコアな内容です。

別のSNSでのグループで投稿しているものですが、こちらにも転載することにしました。

(以下、本文です)

江戸時代初期までの戦闘者としての武士を研究していく中で分かったことがあります。


鎌倉時代から江戸時代初期にかけての武士が、同時代的に見ても他の文明圏の軍事力に対し比類無き戦闘力を誇っていたのは周知の事実です。


しかし、たとえば鉄器が爆発的に世界中に広まった、あるいは馬と乗馬技術があっという間に広まった、もしくは鉄砲があっという間に広まったように、敵対者の優れた技術は、直接的に戦争をしなくても徹底的に研究・模倣され優位性がなくなっていくものです。


では、モンゴルの大軍勢を真っ正面から撃破し、戦国時代では帝国を作った明を崩壊に導き、世界征服に乗り出したスペイン・ポルトガル、オランダをまったく寄せ付けなかったどころか、日本の襲撃に怯えさせるまで至った武士の戦闘力がなぜ模倣されなかったのかという疑問が生まれます。


そして、この疑問への答えが分かれば、自らの優位性をリバースエンジニアリングされて失うことへの有力な対抗手段になると考えます。


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端的に答えを述べますと、模倣されなかったのではなく、模倣できなかった、言い方を変えますと、武士が優位な戦闘力をパクられなかったのは、武士の戦闘力が極めて属人的なものであったからです。


つまり、武士の戦闘力は、兵器や組織論上(マネジメント)の技術的優位性によってもたらされたものではなく、武士という社会集団それ自体の発揮するパフォーマンスによってもたらされた、極めて属人的=その人だからこその能力によるものだからです。


「武士の戦闘力」は、武士になること以外によっては発揮され得ないものであるからこそ、他の文明圏では、模倣したくても模倣できない、リバースエンジニアリングできなかったといえます。


そして、武士になること自体、日本以外の文化・文明圏では物理的に不可能であり、仮に武士になることができたということは、それはとりもなおさず、日本に文化的に征服されたということに他なりません。


その良い例が、織田信長の近習となった元奴隷の黒人の武士、弥助です。


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ここから分かるとおり、属人的な要素というのは、極めてリバースエンジニアリングしにくいものです。


もちろん、スキルは教育技術によって身につけることができますが、歴史的、文化的な特徴が濃厚なスキルは、形の上では模倣できても、「なにゆえそうなるのか」という核となる精神性が理解されていないため、オリジナルと戦えばメッキが剥がれます。


武士を武士たらしめていたのは、足軽的な「外付け」で何とかなるスキルではなく、幼少期から営々と積み上げていった独特の精神性=メンタリティを土台とする、極めて特異な技能に基づきます。


つまり、自らの鍛え上げた戦闘技能を発揮して勝利する、少なくとも戦い抜くことを自分の命の上位に位置づけるという死生観を持ち、その精神性を具現化するために独特の戦闘技術を編み出していったことが、武士の戦闘力を他の文明圏が模倣できないものにした根本的な要因です。


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私が「日本流の戦争方法・戦争文化」にこだわる理由もここにあります。
つまり、明治維新以来続く、ただの近代西洋的技術を吸収するのが、開始時期と学習期間そのものにおいて早かった時間的優位性を頼みにするという発想では、(資源、人材の)産業動員の絶対数や研究者の絶対数で勝る周囲の敵性国家群相手には、リバースエンジニアリングによってすぐさま優位性が消されてしまうという弱点があるということです。


よって、他国に模倣されない優位性=属人的な(それも日本文明、日本文化独特の属「文化」的な)優位性の確立とその拡大再生産能力こそが、「図体のでかい」そして「研究(模倣)上手」の敵相手の長期戦には必須となります。


一見、軍事研究とは無縁の歴史研究は、その点で宝の山なのですが、いかんせんそういった観点からの歴史研究はほとんど存在しませんので、それを明らかにすることが私の使命であると考えています。


これもまた、私の持つ属人的な優位性=他人にはパクられない優位性とも言えるでしょう。
なので、もし仮に、私の結論だけを模倣する人間がいても私は絶対に負けません。
少なくとも長期戦になればなるほど私は優位に立てます。
なぜなら、その時点で私の出した結論よりも、さらに深くレベルの高い「前人未踏の結論」を自ら生産することができるのに比べて、模倣者にはそのような芸当は不可能だからです。


一分の兵法に置き換えるとこのように言うことができますので、これを大分の兵法に置き換えても同じ事が言えるということをご理解していただけたら幸いです。

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