自分の生きる環境を考える
先日と今日、非常に良いことがおこり、自分を知る機会が増えました。
奴隷労働=賃金労働を始めてから10年近く経ちましたが、自分の力を上手く発揮できなかったことも、能力以前に環境と合っていなかったというのが大きいということがいよいよはっきりしてきました。
いうなれば、マグロに木登りをさせたり、(ダチョウではない)鳥にかけっこさせたりするようなことをやってきたのが、今までの私の労働だったなと。
私に向いてることの属性としては、
1.なにかを突き詰めて研究する
2.他人からアレコレ指示されたりせず、全て自分の好きなやり方でやれる
3.誰かの下にならない
の要素です。
現職(地方公務員)は、これらすべての要素にことごとく反しているものなので、そりゃやってる自分も苦しいし、成果が出ないのは当然だよねということに納得しました。
現職でやってて唯一楽しく良い仕事ができたのが、住居表示の付番の仕事です。
これは基本的に一人親方で自分の好きなようにやれて誰にも何も言われない、そしてブルシットジョブではない、公務員の仕事としては数少ないエッセンシャルワークですので、非常に良かったですし、体調を崩すこともほとんどありませんでした(同時並行してやらされてた別の仕事で体調を崩してしまいましたが)。
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別の例で表現しますと、私の属性は完全に「野生の狼」だったのですが、何の因果か、奴隷=家畜制資本主義である現代日本の社会の引力に囚われてしまいました。
本来的には野生の狼なのですが、なぜか檻の中にいる豚と同じように振舞うことを強要されてきました。
当然ながら狼ですので、豚の真似は上手くできず、そのため周囲の豚から「お前は仕事ができない=豚としてのふるまいがなってない」と言われ続けてきました。
いままでは自分が何者であるのかが分かっていなかったため、非常に苦しんできましたが、今は自分が野生の狼であることをしっかりと認識できたため、逆に「家畜が何を偉そうに」と想うことができています。
そして自分を囲っている檻(勤め人という環境)を打ち壊して、檻の外へ出ること(FIRE)に向けて、豚に同化させられかけて失いつつある野生で生きるための牙を研いでいるのが現在です。
自分の成果や能力を疑う前に、自分の置かれている環境をまずは疑うことから始めるのが大切です。
そしてまずは環境を変える試みをすると、少なくともストレスはかなり低減されるでしょう。
そのためにも、まずは自分の適性を知ることが大切です。
特に勤め人として染まり切れていない人は、野生的に生きる方が向いていたりします。
野生として生きたいのか、家畜として生きたいのか、まずは大きくどちらの方向なのかを考えてみることが大切だということが分かりました。