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なぜ古流柔術は型が多いのか?

諸賞流和の像を明確にするために県立図書館で日本武道館発行の『日本の古武道』を借りてきた。

最初に諸賞流和を知ったのもこの本がきっかけであり、ネットも含めてすべての媒体において、本書が一番詳しい(いくつかの型も連続写真入りで解説されている)。

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本書によれば、諸賞流和の体系は本体の柔術に関しては大きく二つに分かれており、座り技の「小具足」と立ち技の「立合」で構成されている。

そして稽古体系としては、基本技の一つひとつが変化していく「三重取」、そしてさらにそれを変化させて最終的に「五重取」という段階で稽古していくとのこと。

「三重取」は、「表」「ほぐれ(手偏に解)」「裏」で構成されている。

「表」は一般の柔術と同じく、投げ、逆手、当身、固め技などで相手を制圧する、いわゆる一般的な柔術の攻防になっていて、この段階で基本的な身のこなしを習得していく。

次の「ほぐれ」では、表の技に対する返し技を学ぶ。
相手の表の型の攻撃も含めて、一般的に柔術の攻撃は「真下に叩き落して」相手に受け身を取らせないようにしている。
そこを、自ら倒れて相手の技を殺して受け身を取り、受け身を取りながら当身を当てて逆に相手を制する技になっているのが「ほぐれ」の技であり、表の型を変化させてそれを学ぶとのこと。
「ほぐれ」は武道武術の一般的な「残心」の隙を突く技であり、真剣勝負の呼吸をここで学ぶとのこと(ほかにもう一つの意義があるそうだが、それは非公開で継承者や高弟にのみ伝授されるとのこと)。

そして「三重取」の最後「裏」は当身を主体とした技になっており、諸賞流和の最重要稽古に位置づけられている。
私が諸賞流和に興味を惹き付けられたのもこの当身であり、一般的な柔術と異なり、当身主体で一撃必殺の技となすものであり、これが空手ではなく古流柔術をチョイスした理由でもある。
なお、この当身の威力の程は、厚さ10センチもある専用の防具をつけて行うが、それでも腹に力を入れて踏ん張らないと危険であると言われるとのことで、空手の巻藁突きのような構造があるのではないか?と考える。

以上が基本の三段階変化であるが、「裏」まで修得することで、「裏」の習得者のみに許される最後の奥儀的変化技の段階に進む。

この奥儀的変化技が「変手(へんて)」「手詰(てづまり)」という段階であり、「三重取」とこの二つの段階を合わせて「五重取」となる。

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「変手」は相手の攻撃を受けると共に瞬間的に関節を極め、複数の関節を固めて投げ飛ばした後に当身の一撃で止めを刺す技とのこと。
関節技ということで、おそらくはここで合気的な技として基本技を変化させるものと推測される。

「手詰」は、相手の攻撃を受けながら瞬間的に相手の急所を一撃で極める攻防一体の当身技であり、裏稽古の段階で養成した当身の威力がこの段階では不可欠であるとのこと。

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これだけでも結構なボリュームであるが、諸賞流和の免許制度は7段階で、「中位申し渡し」「中位本伝」「免許申し渡し」「免許」「印可申し渡し」「印可」「印可皆伝」とのこと。

「表」「ほぐれ」「裏」は最初の「中位申し渡し」までに学び、「変手」と「手詰」は「中位本伝」までに学ぶとのこと。

その他にも、仕掛と呼ばれる隠し武器、覚悟の巻と呼ばれる日常及び非日常の心得や作法、対処技術や心法、そして捕縛のための早縄術などを学ぶとのことで、諸賞流和では「小具足三年、立合三年」と言われているようで、全体系を学ぶには極めて長い時間を要するとのこと。

なお、諸賞流和は盛岡南部家の御留流になっていたことで、近代の人材にもゆかりがあるとのこと。
新渡戸稲造の実父および祖父は諸賞流和の師範であり、平民初の総理大臣になった原敬も諸賞流和の修業者で、満州事変の立役者の一人であった関東軍参謀・板垣征四郎大将の実父は諸賞流和の61代目の継承者であったとのこと。
「帝国陸軍は薩長が創り、東北が育てた」と言われるが、その人材の経歴を見ると、軍事や政治を支えた影の存在として武道・武術が厳然と存在しており、日本を独立国家にするためには武道・武術が必須の構造として要求されるものといえよう。

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閑話休題。

タイトルの問いについて考えてみたい。

諸賞流和の体系について『日本の古武道』を参照して概観したが、他流の古流柔術も同じかそれ以上で、単純に数えて型の数が百以上、下手をすれば数百から数千を数えるものもある。

南郷先生の『武道學綱要』を学んだ者には常識レベルであるが、「多技を誇るものに秀技なし」とは至言であり、身につけるべき技はあらゆる場面に応用の効く少数の基本技のみで充分であり、それを秘技=得意技=技の創出と使用の統一で見事なレベルにまで仕上げることで、千変万化させてあらゆる相手や状況に対応できるようにすることが大切である。

しかしながら、現実には特に徒手空拳の武道武術ほど型の数が多くなるのはなぜなのか?

推論ではあるが、おそらく徒手空拳というのが大きな原因の一つではないかと思われる。

というのも、武器術の場合、武器を持っているということによってある程度身体の動きが規定され、それに伴って必然的に攻め方、守り方も限定されていき、有効な手段というのもかなり絞られてくる。

しかしながら徒手空拳の場合、武器が無い(もしくは短刀のように小さい)ために、身体の動かし方がかなり自由であり、それゆえに動きのバリエーションが武器術とは比較にならないほど多様である。

グラップリングの練習をしていて体感したが、自分と相手の位置や姿勢によって同じ技をかけようとしてもその過程は千変万化と言っていいほどに変化する。

なので、南郷先生によって昭和の半ばに世界で初めて理論化、言語化された武道科学の理論がない時代においては、変化したものそのものが技であり、その変化技の一つひとつを型化していったものと考えられる。

なので、私が諸賞流和を学んでやるべきことは、武道科学の理論を媒介として、諸賞流和の型を一つずつ学んでいきながら、何が基本技で何が変化技なのかを理論的に再構成して捉え返して、再体系化していくことであると考える。

基本技を秘技=得意技のレベルにする、すなわち技の創出に加えて技の使用のレベルも磨き上げる、それも柔術の場合は技の創出においても、武器術の武器本体に匹敵する技を己の五体に創出しなければならない関係から(最も武器術でも「斬る技」を創出する必要があるが)、基本技の数はせいぜい10程度、できれば指で数えらえれる程度が望ましく、それ以上は時間的にもとても無理である。

なお、二天一流の基本技は?と問われれば簡単で、「喝咄切先返し」これ一つである。
もちろん『五輪書』にあるとおり、斬るほかにも突いたり薙いだりすることはあるけれども、それらを含めて基本技としては「喝咄切先返し」が全てと言えると考えている(喝咄切先返しには「突き斬り、斬り突き」というものを含んでいる)。

なので、諸賞流和の学びにおいてもただ単に機械的に学ぶのではなく、兵法二天一流の修業と武道科学理論の学習で培った認識力を通して、武道科学の理論を媒介として立体的に再構成しながら学ぶことが大切になる。

そうして諸賞流和の現在の体系から、何が基本技になるのかを具体的に見分けることがおそらく最初の目標であり、それに習熟することで、変化技の体系もおそらく相当早く修得することができるようになるだろう。

そういう意味で、理論と実践の統一を、教えられるままに学ぶことから、自分で問いかけながら学ぶということもできるので、さらに自分の理論と実体技の実力を高めるためにも、徒手空拳の武道を学びに行くことが楽しみである。

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