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姿勢矯正による癒しとは〜痛むということの二重性・過程性〜

 畑仕事をして膝に軽い痛みがあった。そのことで、痛むということにも、それゆえに痛まないということにも二重性があるのだということを再認識させられた。

 日曜日に、裏庭の菜園の整理、春の野菜の種まきをした。その中で30分程度軽いしゃがみ姿勢での作業を行ったところ、立ち上がると膝の痛みがあり、それが数秒続いた。(正座で足が痺れたのに近い感覚といえばいいのかもしれない。)一瞬、7年近くも続いた「膝痛」が再発か!?とも思ったのであるが、幸い (? )その痛みはその時限りで、2日目の今朝に至るも膝が痛むということは無く来ている。

 これは、去年の2月に「股関節重心+骨盤前傾」体へと姿勢を矯正して、膝の痛みが止まった、治ったとしていたものには、二重性があったということに他ならないからの、と思えた。

 どういうことかといえば、姿勢矯正によって痛みが消えたことと、「膝痛」という膝の傷んだ状態が治ったということは、関係はあるけれど、一応別のこと、相対的独立(弁証法)であったのだということであり、姿勢矯正による治る、痛みが消えるということにも、二重性がある、過程性があるということである。

 自身の「膝痛」の回復過程を順に見ていけば、まず当初の、単なる膝痛が「変形を伴う膝痛」へとなっていった段階。

 そこから、それまでの「膝重心+骨盤後傾」体から「股関節重心+骨盤前傾」体へと姿勢を矯正してやることで、痛みが消失した段階。

 ここでは姿勢を矯正することでの、それまでの膝に負担をかける立つ・歩くで無くなったからの、膝が痛まないであり、膝自体の実体としての傷んだ状態。というものは、相変わらずのである、あったはずである。

 なぜならば、例えば切り傷が治るのには、早くても数日必要なことを考えても、膝痛を体組織の損傷された状態と考えれば、瞬時に治るはありえないから、それなりの回復の時間というものが必要であるから、それゆえ、この段階は、実体としては傷んでいるけれども、現象としては痛まない状態と捉えることができる。

 そこから、「股関節重心+骨盤前傾」体での立つ・歩く、そして、走る、バドミントン、棒術等の運動をすることで、いわば膝本来の運動形態で使ってやる、使い続けることで、次第次第に、痩せていた下肢も(特に大腿の筋肉も)戻っていき、見た目の上ではほぼ治ったと思えていたけれども、実際は、実体としての膝自体は治りきってはいなかった、ということに、一昨日の畑仕事で気づかされた、ということである。

 とはいえ、これは日々の施術において経験する、痛みの、それゆえ痛まないということの、二重性の問題と全く同じことである。

 例えば、先日書いた「腰椎すべり症の事例」で言えば、実体としての腰椎がすべっているは、そのままであっても、症状を出している筋肉のハリ・コリをほぐしてやれば、現象としての症状は消失するのであるが、これはあくまでも現象としての痛みが消失した状態というだけであって、これを治した、治ったとしてしまってはならないのと同じであり、傷んだ実体が痛まない現象を持っているという二重性を解消すべく、痛まない(傷んでいない)実体で痛まない現象を持てるように、施術・治療していかねばならない、し続けなければならないのであるが、姿勢矯正による治療ということも、全く同じことなのだ、と。

 以上要するに、(運動体の)病には、現象と実体の二重性があるから、実体が現象しているものなのであるから、その二重性ということをわかっての、現象としての症状の消失で、痛まないということに喜んでしまってお終いにするのではなしに、痛まない(傷んでいない)実体で、痛まない現象を持てるように、施術・治療を行わなければならない、行い続けなければならない、という施術・治療の一般性が、「姿勢矯正」ということにも言えるのだ。ということに、日曜日の畑仕事での膝の痛みで気づかされた、ということである。


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