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野菜を食べない子供たち〜野菜を食べるべき根本的理由〜

 自身のnoteは、当初から一般論的なものがほとんどになっている。理由は端的には、一般論→具体論→構造論、あるいは、素朴な絶対精神→具体の森羅万象→完成された絶対精神、という構想を持っての、その第一歩としてのnoteでの書くこと=考えること、との思いからである。

 しかしながら、そもそも一般論というものは、観念論的にはともかくも、唯物論的には具体の事実から上がってのでなければならない、かつ、一般論は具体の事実(正確には具体の事実の論理というべきか ?)との、上り下りによって、それが構造論としての深みを持っていくものであるから、具体の事実をしっかり論じていくことも必要なのでは、とも思えている。

 さて、「近頃の子供は野菜を食べない」ということ。X (旧twitter)の投稿でそれを知って、「そんな馬鹿な。何かの間違いでは!?」との思いとなって、少し調べてみると、子供が野菜を食べないという事例が山ほど出てくる。「そもそも子供は野菜は食べない」とか、「野菜は食べる必要がない」との意見もあって、それも専門家と言われるれる先生方の意見であったりもするので...…。

 確かに、自身の子育ての経験からも、ある程度の偏食の時期はあったし、工夫して食べさせて、どうしても無理なものは無理強いしないで、時が来れば、そのものの美味しさがわかるようになれば、いずれなんとかなるだろう...…となっていたということがある。(そういう意味では、現在の野菜大好きの自身から、子供が野菜を食べないという事実を見てしまっていたとも反省されるが...…)

 では、そもそも人間が、それゆえ人間の子供が、野菜を食べねばならない根本的理由は何かといえば、人間は地上の四足の哺乳類から樹上のサル類へと進化していくのに、植物としっかりと関わっていくことで、木の登り降りかつ樹上生活という運動をするとともにの、植物性雑食ということによって、サル類としての実力を、特に脳の実力を培っていったのであるから(例えば、落ち着いてあれこれの外界を見つめたりするようになっていったのであるから)、別言すれば、野菜や果物をあれこれしっかりと食べた(植物性雑食)をした哺乳類だけが、サル類から人類へと進化していけたのだから...…人間にまで進化してしまった人間が、野菜を食べないから、それ以前の4足哺乳類へとなっていってしまうことはないとしても、脳の実力としては不十分なものとなっていくのでは?と思える。(例えば、落ち着いて物事を考えられない。切れやすい。情緒不安定......)

 そのように考えると、食べないものを無理強いしても仕方がない。そのうち食べるだろう。と諦めてしまうばかりではなしに、様々な野菜を食べさせる工夫は、例えば綺麗に盛り付けたり、大きさや味付けを工夫したり、親が美味しいものとして食べて見せたり等々は、是非ともやり続けるべきこと、と思う。

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