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「陰陽五行論」は鍼灸の謎を解く〜古代中国の弁証法としての陰陽五行論〜
我々が鍼灸学校に入学して、『東洋医学概論』で鍼灸の大事な理論として、まず学ぶのが「陰陽論」であり「五行論」である。それに対して、自身は、「これはまさに弁証法そのもの!」との思いを持った。
順に説いていきたい。まず「陰陽論」から、この世界の全ては陰と陽とに分かれ(分けられ)、そのどちらか一方が真理なのではなく、陰と陽との両方があって初めて世界は成り立っている。例えば、人間には女(陰)と男(陽)があって、女(陰)だけの世界がありえないように男(陽)だけの世界もありえない。また天候にも雨天(陰)と晴天(陽)とがあり、晴天のみでは作物は枯れてしまい、雨天ばかりでは腐ってしまう...…等と説明される。
また、五行論については、万物は木・火・土・金・水の5つの元素によって成り立っているとか季節には春・夏・土用・秋・冬があり、味には酸・苦・甘・辛・鹹があり、物事の成長・発展には成・長・化・収・蔵があり...…と全てが5つに分けられる。そして、その5つはそれぞれ対応している、と教わる。
通常は、「そんなものか」で終わるのではあるが(とはいえ、陰陽論、五行論は鍼灸を学ぶ上での大切な理論、理念であるとして、覚えることを求められ、日々の試験や国試でも問題になるものであるから、ほとんどの鍼灸学生が知識としては持つようにはなるのだが......)、自身の場合は、それまでの何十年という弁証法の学びがあったので、「これは弁証法そのもの!陰陽論、五行論は古代中国の弁証法!」との思いへとなっていった。
(弁証法については、『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書 三浦つとむ)をお読みいただければと思うが)陰陽論は対立物の統一や矛盾そのものであるし、五行論はその要諦であるといわれる五化(生・長・化・収・蔵)は、世界を生成、発展、成熟、衰退、消滅として、一般的な運動性として捉え究明していこうとする弁証法そのものであると思えたものであった。
これは、そもそも何のために古代中国で、陰陽論、五行論が誕生させられたのか ? と考えてみれば、人類が世界=森羅万象と関わり、生きていく中で、鍼灸で言えば鍼灸の実践を重ねる中で、世界の、鍼灸治療の実践の知識が蓄積され、やがて、それが膨大なものとなっていき、それを分類整理して体系化してやることなしには、扱いきれなくなっていっての、そのための、世界の一般性としての、整理分類するための、いわば「物差し」としての、陰陽論であり五行論であったのだから、古代中国と古代ギリシャとでは、対象とする世界の違いはあっても、一般的には共通であるのだから、全く同様のものを誕生させた、ということなのであろうと思える。
そのように、陰陽論、五行論を捉え返すならば、肝心なことは、どちらが陰でどちら陽かと考えたり、五行では夏(五季)には、苦(五味)、羊(五畜)が対応するから、「暑い夏にはジンギスカンにビールが良いのだ!」と、当てはめをしたりすることでは無しに、患者を見た時に、どのような矛盾、対立物を抱えているから(陰陽論)の、現在の不調、病なのかと捉え返すことであり、この病は生の病なのか、長の病なのか、化の病なのか収の病なのか、蔵の病なのか(五行論)と、その発展段階を見て取ることなのであると、そうすることで、陰陽五行論は病の謎を解いていくための地図とも、治療の方針を指し示す羅針盤ともなってくれるのだと思う。
そのような観点から言えば、現在の鍼灸学校での陰陽論、五行論の学びは全く不足であり、多くの学生が、「単なる迷信、国試用の知識」としてしまうのも仕方のないことと思える。
しかしながら、陰陽論、五行論を、その真意を汲み取れば、古代中国の弁証法として、鍼灸実践の導きの糸ともなってくれるものであると思えるだけに、そのような学びがなされない現在の鍼灸学校の教育であることを憂えての、本日の記事である。
鍼灸を専門とする学生の皆さんには、せめて『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書 三浦つとむ)くらいは一読いただきたいものと、切に願う。