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強揉みについて〜あれかこれかから、あれもこれもへ〜

 唯物論だの観念論だの、世界観、学問、学術だのと堅苦しい話がついたので、弁証法と陰陽論、五行論の問題は明日にして、今日は手技施術の実際の場面でよく問題になる「強揉み」について。

 日々施術をする中で、一定数は(割合としては少ないけれど)、いわゆる強揉みを求める患者がいる。

 現在の勤務先はクリニックのリハビリ室ということもあって、そういう患者はそれほど多くない、いてもそうでない方向へと指導していくことにしているのだが、次の転職先ではそもそもその院が強揉みの求めに応じているようなので、そのことについての自身のアタマの中の整理を兼ねての記事。

 これは、端的には患者の求めるものと求めるべきものとの二重性の問題であると自身では捉えている。

 指圧やマッサージの施術において、強揉みということがよく問題となる。具体的には、「もっと強く押してくれ、揉んでくれ」という患者が一定数いるということである。

 それに対して、自身では、「強く押したから、その分余計にほぐれるというものでもないし、仮に一時的にほぐれたとしても、体のペースを無視してほぐしても、逆に体が反発して返って硬くなる、あるいは揉み返しが強く出る場合もある。何よりも長期的には身体はますます硬くなっていって、凝りやすい身体へとなっていってしまう。だから焦らず少しずつほぐしていきましょう。」と指導するのを常としているのであるが、そこをどう考えてどう対処としていくべきなのかという問題。

 この場合の問題点は2つ。1つは患者の身体の問題として、どのようにほぐしていくべきなのかということ。もう1つは患者の認識の問題、求めるものにどう応えるのか、応えないのか、ということ。

 1つ目から、身体をほぐすと考えた場合、患者によって、老若男女、スポーツや肉体労働をしてる人、あるいはデスクワークばかりで歩くのは通勤のみという人、寝たきりの人...…と患者のあり方は千差万別であるけれども、その患者にとっての施術の刺激の、押し、揉むことの強さはだいたい決まってくる(最適圧)ので、あとは、実際の押すことへの身体の反応(主にほぐれかた)を見ながら、患者に聞きながら(主に痛いとか痛くないとか)、ということになる。

 そういう意味では、強く押すか弱く押すかは患者の身体次第ということになる。(この場合、術者が未熟で手押しになるほどに患者としては強く感じる、と共に大してほぐれないということもある。ここは改めて書くつもり。)

 もう1つの問題、術者の側が最適圧で押していても、それが患者の求めるもの(認識)と一致するかどうか ? という問題。ここがぴったりと一致すれば何の問題もなく、患者からすれば「良い先生」であり。術者からすれば「良い患者、やりやすい患者」ということになるのだが、人間は認識的存在であるだけに、往々にして、術者の側からの身体のほぐれ具合からこのくらいが、と思う圧の強さと、患者の求める圧の強さ(この場合、正確には圧されてる感の強さというべきかもしれない)は、一致しないものである。

 その場合に必要とするであろう圧の強さよりも弱くを求められた場合は、基本的には求めに応じて弱く、どうしてもという場合は、「ここはもうちょっとだけほぐした方が後で楽になるから、ちょっとだけ我慢してみましょうか、痛くて無理だったら言ってくださいね。」と、1点多くても2点ぐらいを、持続圧、様子を見ながら少し圧を強めるということになる。(というのを自身では常としている。)

 それに対して、最適圧よりも強くといった場合、いわゆる強揉みを求められた場合、通常、術者の対応としては2つ考えられる。1つは患者の求めに応じて強く押す。もう1つは患者の求めを無視(?)して、これが最適圧だからと押す。(現実的には、適当に妥協して両者の折衷となるのがほとんどであると思うが)

 しかしながら、これらの対処の仕方はどちらも問題を持つものである。前者の体のペースを無視して患者の求めに応じて強く押すといった場合、まず起こってくるのが揉み返しの問題。それゆえ最適圧より強くといった場合、必ず「今日は強く押しましたから、後で痛みがあるかもしれませんが...…」との一言は必須。

 強く押すということの、直接的なもう一つの問題として、患者の認識としては「良し」としていても、身体にとって強過ぎる圧の場合、身体が反発して、それに耐えようとして、身を硬くするという問題がある。そうなると、押すほどに患者の身体は硬くなっていき、術者も疲れ果てるという悪循環が.......。

 次に長期的に、最適圧より強い圧で施術を続けた場合に、患者の身体自体が、その強い圧に耐える、硬い身体へと変わっていくという問題がある。

 具体的には、長年、強揉みを受け続けた患者の体は、ガチガチに凝り固まったり、硬いゴムのような感触になったりするのであるが(強すぎる圧への身体の対応)、そうなると指圧やマッサージではなかなかにほぐれず、(対処法はないではないが......)鍼や灸でとなっていくことにもなる。(同様のことが鍼や灸でもあって、和鍼から中国針へ、とか、半米粒大の艾から、小豆大、大豆大へ、と。)そうなると、施術回数も増えていき、施術を受けないと眠れない、ということにもなっていって...…。

 もう1つの患者の求めを無視しての施術といった場合。人間というものは認識的存在であるから、仮に身体がほぐれて行っても、もやもやとした、満たされない感情は残るのだから、結局は、「この先生は合わない」となっていくであろうし、その感情が体のほぐれを妨げるという面もあると思える。

 これは例えば、いかにバランスの取れた理想的な食であっても、肉、揚げ物大好きな人にとっては不満があるし、場合によっては、「それでは力が出ない」と消耗していくということにもなっていってしまうのと同じことと思っていただければ。

 このようにあちらを立てればこちらが立たずとなっていってしまうのが、「強揉み」の患者なのであるけれども、ではどうすればいいのか?といえば、強もみを続けるとますます身体は硬くなっていくということを説きつつ(いわゆる患者指導)、それなりに、患者が満足する形での施術をということになる。(そのように自身では対処している。)

 以上、要するに、患者への施術には、その目標には、患者の求めるものを満たすことと、患者の求めるべきものを示して満たしていくことの二重性があると捉えて施術せねばならない、と自信では捉えている。

 通常は、ここ論理的に捉え返すことをせずに、患者の求めるままに施術したり、自身の思いのままにこれが正しいのだと施術したりするから......。

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