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何から食べるべきか ?〜「生命の歴史」の繰り返しとしての食の重層性について〜

 去年の暮れに、「人間は何を食べるべきか ?」として、自身の食についての理解を整理し、書いた。アバウトには、一般的には、「生命の歴史」の生命体を丸ごと(人類から遠いところから優先して)であり、構造的には、植物性雑食+動物性雑食であり、現象的には、日本の伝統食(特に発酵酵食品と魚食)の大事性、必要性であった。(noteにもgooブログの記事を転載しているので、興味のある方は)

 今回は、我々日本人の食としては、日本の伝統食が良いとして、その食べる順番の問題である。自身では、味噌汁、漬け物等の発酵食品、それから玄米、野菜、そして、魚あるいは肉の順を意識して食べるのだが、食べることを理想としているのであるが、例えば、糖質制限食で糖質から食べると血糖値の急激な上昇があるから、まず野菜や肉、魚からとか、ダイエットのためには、まず野菜を食べる方が満腹感があって摂取カロリーを抑えられれるとかが言われるが、それらとは違って、食において「生命の歴史」を繰り返すと考えた場合には、いかなる順番で食べるべきなのか ? という問題。

 これは別言するならば、生命体は、それゆえ我々は、「生命の歴史」の繰り返しとして、生きるべき、生きるしかない存在であり、その繰り返しは環境と共にが求められるものであるから、運動のあり方が生命の歴史の繰り返しでなければならない、その重層性を持ってのものでなければならないのと、同じくに、食(これも1つの環境である)も、しっかりと「生命の歴史」の繰り返しとして、その重層性に見合った、食べる順番というものがあるのでは?必要なのでは?ということである。

 例えば、空手をやるのに、人間体としての立つ・歩くという運動が満足にできてこその空手修業であるという、運動体の重層性がある如くに、食においても人類の食である動物性雑食ということは、猿の段階の食である植物性雑食ということがあっての、その上での動物性雑食でなければならないのではないのか?ということである。

 これは一般的には、「生命の歴史」の生命体を丸ごと(人類から遠いところを優先して)食べるということであるのだが、具体的に日々の食の取り方はいかにあるべきかと考えた場合、1食で、植物性雑食+動物性雑食(発酵食品+魚を含んで)が取れれば良いのだが、それは通常なかなかに難しいであろうから1日で、せめて2〜3日から1週間でということが必要である、と。

 その上での、食べる優先順位の問題。1食で、「生命の歴史」の生命体を丸ごと全部とはいかない以上、人類から遠いところから順に優先してということになる。

 なぜならば、運動体が、クラゲ段階以下の休息・睡眠に重ねての、魚の段階、四足の段階、猿の段階、類人猿から人類の、木から降りての二足の段階との重曹性をしっかりと持たねば、まともに実存し得ないのと同じくに(「生命の鎖」の論理)、食もまた、単細胞の段階の食に始まって、猿の段階、人類の段階との重曹性を持たねばならないのではと思える。

 それらの具体性としては、単細胞段階の食としての発酵食品の大事性(人類にまで進化したと言っても、我々は一面では単細胞体の集合体なのであるから)、次に猿の段階の食としての植物性雑食の大事性(人類の体は遺伝子レベルでは99% サルと同じであるということからも)、その上での動物性雑食の大事性(猿が人類へとなって行けたのは、例えば大脳の発達を見たのは、食という面から言えば、動物性雑食、特に魚食があってのと言われている)ということがあるが、これらも単細胞段階+猿の段階 +人類の段階との重曹性を持って重なってのでなければならないが、端的には下から順に重なってのでなければならないというか、それが理想であろうと思える。

 1食で全部を食べるということができるならば順不動でも良いかもしれないが、下から重なっていっての重曹性ということを考えるならば(運動体のごとくに)、やはりまず発酵食品、そして野菜玄米、最後に魚あるいは肉となるのではと思える。

 それが、その順番が、現実的にはどれほどに効果があるのか、違いを生むのかは、現時点ではわからない(実験中である)けれども、特に1食という単位で、全体としてしっかりと食べれてる場合には、もしかしたらあまり問題にならないかもしれないが、食もまた「生命の歴史」の繰り返しでなければならない、と考えるならば、意味のあることと思える。

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