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いま、正しい姿勢をとりもどすために〜骨(格)で立つ・歩くということの意義〜

 自身の治ったと思っていた「膝痛」が、実は現象として痛まないというだけであり、実体としては、未だに「膝痛」であるという二重性に気付かされ、そこから「姿形の整え」ということの、何がそのような状態を作り出せていたのか?と考えていくと、端的な答えとしては、「骨で立って歩いているから!」ということに思い至った。

 「骨で立つ」と言うと、それに対して「否!立つのは筋肉の働きで骨ではない。その証拠に筋力の無い赤ちゃんは立てないし、老人は筋力の衰えていくほどに、それに従って姿形が崩れていって、最後には立つ・歩くができなくなっていくではないか。」「テレビなどでも大学教授という肩書のある、偉いお医者様が、筋力が落ちると姿勢が悪くなってついには歩けなくなるから、スクワット等で足腰・体幹の筋力を鍛えましょう!と言っている」等の反論があるかもしれない。

 確かに、筋力がなければ立つ・歩くはできないし、筋力が衰えていけば、姿形は崩れていって、は間違いない。それに対して筋肉を鍛えてとなるのもわからないではない。かつ、その事実や筋トレの有効性を否定するつもりもない。

 しかしながら、立つ・歩くということに大事な筋肉(筋力)も、骨あってこその筋肉であり、骨と一体になってこそのである。

 そもそも、骨というものが何のために誕生させられたのか?とその原点を「生命の歴史」に尋ねれば、それは魚類の時代に、それまでの、その前段階のクラゲ体の海にゆらゆらと漂うだけの状態と違って、激しい海流を泳ぎきるという、強烈な運動を行うために、筋肉の運動を支え、その姿形を保っていくために誕生させられたのが骨(格)である。(ここは自身の理解である。正確には、『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳選書20)を参照されたい。)

 その姿形を保つために誕生させられた骨(格)が、魚類が上陸して、四足体→二足体へと進化する中で誕生させたのが、脊柱のS字カーブという形状での、骨で立つということである。

 これは、個としての人間の成長・発育を見ても、赤ちゃんの時代には C 字であった脊柱が、ハイハイから立って歩くようになる過程で、次第次第に S字となっていく、そうなっていくことでしっかりと立って、歩けるようになっていくことからも、それが二足で立つという人間体としての本来の姿形である、と。

 にもかかわらず、現代の大多数の日本人にあっては、その本来の脊柱が S 字カーブを描いて支えることでの骨(格)で立つ(=「股関節重心+骨盤前傾」体)ということを、その大事性を蔑ろにして、「膝重心+骨盤後傾」体での、脊柱が C字を描いての、それゆえ、その骨格としての立つという姿形の崩れ(当初は変化レベルのというべきかもしれない)を、筋肉・筋力で補っての、立つ歩くであるから、膝痛、腰痛、肩こり...…となっていき、あるいは筋肉・筋力の衰えとともに、姿形を崩していき、ついには立つ・歩くが困難となるところまで、自らの不適切なカラダの使い方によって自らを追い込んでしまう。というのが通常であり、それを「自分は凝り性だから」とか「年だから」と諦めてしまっている現実があると思える。

 そのような現実を踏まえての、自身の、「人間は骨格で立ち歩くべき」との思いである。

 ここはもう少し深めて改めて書きたいと思う。


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