木造エレベーター

これは某政党幹部が車椅子で階段が降りられないからすべての駅に今すぐエレベーターを取り付けろと言った話とは若干異なるであろう。

たとえ木造の天守閣であったとしても、車椅子の人がそこに行って見学する権利はあるだろう。すでにエレベーターなしで作られてしまった建物であればまあ力持ちの職員が何人かがかりで運び上げるという運用、すなわち合理的配慮もありである。けれどもこの天守閣はこれから作り上げるということらしい。それならばエレベーターなのか他の手段かは別にしても、車椅子の人もそうでない人と同じように天守閣を楽しめるように設計するのはそりゃ公共の自治体なんだから義務であろう。

ただ、気になるのは反対の声が出たのは不特定の参加者、つまり一般人からであったらしい。正義のマスコミ様が障害者様に逆らうとは何事だ!貴様らネトウヨどもが人間ヅラをするな!この社会はAさ日新聞様のものだ!下々の者は朝Hi新聞を購入せよ!そして永遠に褒め称えよ!とか言い出したらもう共産独裁国一直線なのである。

隣の中国だって文化大革命で数百万人から下手すれば一千万人以上の死者を出しているわけである。

サヨク様は自分を正義と認定しているので自分の気に食わない連中を「気に入らないネトウヨどもはギロチン台にかけてしまえ!ネトウヨどもはゴキブリ以下の下等生物だ!人権などあるものか!ワッハッハ我を崇めよ」と言いたくて仕方がないのかもしれないが、それはファシズム、全体主義への道なのである。

それを考えるとこの記事が「差別」という切り口だけで語ろうとしているのは危ういのである。差別という切り口だけだと正義の左翼、朝日新聞対差別主義者の邪悪で人権を認められるべきでないネトウヨ野郎の戦いになって、ネトウヨを虐殺せよ!という扇動が起こりかねないのである。正義なのだから敵である邪悪を全滅させれば勝つるということになって文化大革命の縮小コピーが起こるわけである。

これはしばしば言及しているフランス革命のロベスピエールのやり方であり、殺せば殺されるという報復合戦の始まりにもなり得るのである。まあ、人間扱いすべきではないネトウヨどもは左翼とは別の生き物であるとか言い出したらもう目も当てられないわけである。

本来はそういう方向ではなく、いかに健常者も障がい者も社会に参加できるようにするかという方向で解決策を考えてゆくべきなのである。その中で対立する意見があってもそれを融合してよりよい未来を作ってゆくことこそ本来的に望まれることである。

正義の左翼からは「お金がかかる」なんてクソだ!障害者のためなら無限に支出してもいいじゃないか」という理想主義的な意見が出るかもしれないが、実際にはそうやって予算を拡大して赤字まみれにしてしまうと、今度はあSa日新聞が「赤字の垂れ流し、無駄な箱物。せっかく作ったエレベーターは予算の無駄遣い」なんていう記事を載せてくるかもしれないわけである。

まあ、左翼さんの頭もおめでたいことがあるから、その時には「そんな無駄遣いを許したネトウヨを処刑せよ。大体木造の建築物にエレベーターをつける方がおかしい。ネトウヨは頭がおかしい!」と叫び始めるかもしれないのである。

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