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アファーマティブ・アクション

米国の最高裁がハーバード大などでのアファーマティブアクションを違憲としたそうである。

これは社会階層の固定化した社会では下層階級の人がその階級の壁を越えることができないので大学などに優先的に入学させることで階級の壁を壊し、流動化させるものである。

ただそれを実施すると、元々の上流階級の白人子女は入学できても新興勢力であるアジア系の若者がアファーマティブアクションの犠牲になって入学が困難になるということが指摘されてきた。米国社会のニューカマーである黄色人種は子供に投資して子供が米国の名門大学を卒業することで米国社会の上流階級に参入するという戦略を持っていたが、それが阻害されてしまうことになったわけである。

白人にしても自分たちの子供を名門大学に入れろというのではさすがにあからさますぎてバツが悪かったということであろう。同じように被害を被る黄色人種たちを代わりに原告に立てて訴訟を行なったということである。

リベラルの人たちは黄色人種など知らない、米国社会が救済すべきなのはBLMもあるように黒人なのだから黄色人種など知ったことではない。ひたすらに黒人たちを優遇せよと主張したようであるが、米国の最高裁はトランプによって保守派の判事が多数になっていたのである、45年前の判決をひっくり返してアファーマティブ・アクションなどやめてしまえという判決に至ったようである。

これは実に難しい問題である。階級のそれほど固定化されていない日本では教育はそれほど重視されないけれども、階級が固定化された社会では教育を得ることは低階層を離脱するための有効なツールになり得る。日本でも多くの女性が短期大学から四年生大学で学ぶようになり、企業の総合職で働くようになったことで女性の社会的地位が上昇したことは家父長制の打倒や男の特権剥奪に有効であったということだろう。

アファーマティブ・アクションは一面ではそういう社会の変革を後押ししてきた一因でもあった。けれども、一定の人々だけを優遇するということはそれ以外の人を排除することにもつながる。

BLM運動では黒人だけを擁護しようということであり、黄色人種が差別されてもそれは問題にされなかった。黒人が黄色人種のおばあちゃんに暴力を振るってもBLM運動では議論されることすら許されなかったわけである。BLM運動では常に被害者は黒人であるべきであって、黄色人種はその存在すら認められなかった。米国でもこの黄色人種のおばあちゃんに対する暴力は問題になったが、これはBLM運動の外側においてである。

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