中道

多分、人間の認識の限界が多くの問題を生んでいるのがマジョリティーマイノリティの問題なのだろうと思う。

一般にマジョリティの日本人がある犯罪にあったとして、その犯人が外国人である場合、非難されるべきは犯罪をおこなった外国人のみであり、その横で真っ当に暮らしている外国人は非難する必要はないわけである。

ここで「外国人というのは皆犯罪者だから日本から出てゆけ」と叫び出す人は国粋主義者、白人至上主義者と言われる人と本質的に同じであろう。①

一方で、逆に「外国人はマイノリティなのだから仮に外国人の犯罪であっても通名で報道し、日本人の犯罪であるように見せかけて外国人を保護すべきである」というのも行き過ぎである。②

①と②の人は真逆であるように見えてやっていることは偏見を正当化しているだけなので、質的には同じである。

左派リベラルの人はこの時、マジョリティは強者であるから汚名を浴びても耐えられるはずである。我慢せよ。というわけである。これは、マイノリティなら殴られたら痛いが、マジョリティなら強いので殴られても痛くないはずであるという理屈であるから、マジョリティなら抑圧しても構わないという方向性になる。

マジョリティだって殴られれば痛いに決まっているではないか。

これは昔、ツイッターである在日コリアンと口論になったときに左派リベラルの弁護士さんがおっしゃった言葉である。つまり、在日コリアンが「お前らネトウヨは日本から出てゆけ」と叫んでもマジョリティであるネトウヨは「在日コリアンは母国へ帰れ」と言ってはいけない。なぜなら、いくら在日コリアンが「出てゆけ」と叫んでもマジョリティであるネトウヨが追い出されることはないが、ネトウヨがそう叫べばマジョリティのパワーで在日コリアンが国外追放になるかもしれないのである。

いや、そんなことを言っても、在日コリアンがネトウヨの叫びで国外追放になるような事例はおまへんがな。

そりゃオーバーステイしたり不法入国したりした外国人は入管でトラブルになっているかもしれないが、在日コリアンは特別永住資格を持っているから、パスポートが日本のものではなくてもきちんと日本に再入国できるのである。

安倍政権で外国人労働者を解禁したので、コロナ後の経済状況によっては日本に就労のためにやってくる外国人は増えてゆくかもしれない。そういう人の中には滞在資格の問題を起こす人も出てくるだろう。そういう人について全てノープロブレムにしようということになると、不法滞在者が大挙して日本にやってくることになる。そうなると、職につけなかった人やあまりにも悪い条件でしか就労できなかった人が生活のために犯罪に手を染めるというリスクも増えるだろう。それを考えると、一定の規制はやむを得ない。だからといって、規制を厳しくしすぎると、日本で生まれて日本語しか喋れない子供が親の不法滞在に連座して国外退去を余儀なくされるのもどうかと思うわけである。

けれども、時々、そういう国外退去の事例が報道されると、マジョリティの日本人はああ、かわいそうだね、という人もいるかもしれないが、ほとんどネット上でも議論されることはない。これは一つには外国人問題の活動家たちの思いが強すぎるせいもある。

「ああ、あの子、国外退去になってかわいそうだね」というと「そうでしょうそうでしょう、それは差別なんです、今すぐあなたも活動家として入管のひどい実態を改善するために立ち上がってください」と言われるわけである。そうなると、「い、いや、そこまではちょっと」と逃亡せざるを得ない。彼ら活動家は「不法滞在の人たちって犯罪者でもなく、いい人たちなんですよ」というが、一般の認識では「不法滞在をしている時点で犯罪じゃ?」ということになるのである。

マイノリティを保護するために全てのネガティブな事項に蓋をしようという左派リベラルの熱意は常に押しつけになりがちであり、空回りになっている事が多い。

彼ら活動家は「マジョリティの日本人どもならマイノリティのために財産を毀損されても殺されても笑って許すべきだよね。」くらいのところが出発点なのであろうが、マジョリティの多くはそんなの絶対にゴメンだと思っているわけである。残念ながら彼らの主張とマジョリティが交差する曲面は永遠に訪れないのである。

多分、多くの日本のサイレントマジョリティは外国人がそばに住むことを厭うわけではない。例えば、外国人技能実習生があまりの低待遇に逃げ出して、窃盗に手を染めるという話には「国はきちんと待遇改善してやれよ。彼らが日本で幸せに生活して技能を身につけ、母国に帰ってしっかりとその技能を活用して幸せに暮らせるようにしてやれよ」と思っている人は多いんじゃないだろうか。

けれども、そういう外国人がゴミ捨てのルールも守らず、夜遅くまでどんちゃん騒ぎを繰り返して、共用備品を黙って持ち去るようならば、いかに活動家たちが「風習が違うのだからちょっと窃盗したりするくらいは我慢してください」と言われても納得がいかなくなるという事なのだと思う。

活動家たちにしてみれば「クソ日本人め、日本は日本人のものじゃないんだ、嫌なら日本人が日本から出て行けよ。」という気持ちになって日本人を迫害したくなるのもわかるが、それは①と変わらなくなるのである。

もちろん、地域的には、うまく住民同士が折り合いをつけて共存しているところもある。そういう場所ではお互いに相手のことを知ることで共通の議論のプラットフォームが作られたところであろう。活動家が偉そうに叫ぶのではなく、お互いが相手を知り、相手の希望を知った上で、共存可能なラインを見つけるという作業を行うことが熟議であろう。

結局、そういう中道を行ったのが安倍政権であったということであろう。右からも左からも叩かれながら安倍政権は8年弱も持ち堪えた。それは国民の支持がそこにあったということではないか。

「我こそは中道!」と鼻息の荒い極左の人たちは一度反省して自分の見たいものについて反省すべきだろうと思う。いくら「右傾化、右傾化」と叫んでも、国民が極左になることはないのである。マジョリティの日本人たちがいるところが中道である。

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