上辺だけではねえ
憲法には基本的人権を認めると書いてあるのに、例えば法律でロックダウンをして人々の移動の自由を制限するーつまり基本的人権の制約ーを行うことができるのだろうか。できないのであれば憲法改正が必要ではないか。緊急事態の時には適切な範囲で一時的に基本的人権の制約を行うことができるということにしないと、ロックダウンは不可能であろう。
問題の根源はそのことについて野党に議論する能力に欠けているということではないか。無論、野党の代議士個々人にその能力が欠けているというわけでもない。中には当然、しっかりと問題を掴み、議論できる人もいることであろう。けれども、野党としてその責任を負う能力がないのである。もしくは責任を負う気概がないということかもしれない。
多分、この辺りまではやむを得ないよねというラインは野党にも存在するだろうと思う。けれども、ちょっと変わった人が「そんなの嫌だ!」とわがままを言う時に、それを止める気力がないのである。そう言う人は止められても憲法が悪いと言うより、それを制定した国会議員のせいだと言うかもしれない。その時、野党がなぜそれに賛成したと問い詰められるのが怖いのかもしれない。「我々は徹底的に反対したが、悪い自民党が強行採決したから仕方なく…」という小さな物語を必要としているのかもしれない。
医療についても、民間病院を認めているのにその自由意志を否定することなどできるわけないのである。もし、思い通りにしたかったら全部公立にすれば良い。その代わり運営コストは全部国持ちになる。医療コストは上昇するだろうけれど、それは国民が増税という形で負担すればよいのである。
民間病院であればこそ地域のニーズに柔軟に対応して存立していると言うことであろう。それを公立にして、病院には感染症対応ベッドを増やしなさい、またそのための人員も雇いなさいとやればいざと言う時に使うことのできるベッドは増えることは確かである。けれどもその設備や人員はパンデミックでない時には無駄飯食いと言うことになるのである。それを維持する分だけ医療コストは増大し、そのコストは国民持ちになるわけであるから、増税か医療保険料の上昇ということになる。
民間病院はそういう使わないコストをバッサリ削るからこそ採算が取れて生き残って行けるわけである。小児科だって不採算部門だから政策医療として総合病院には小児科を作れと決めているわけで、おそらく院長や事務長はもっと高齢者医療、内科を拡充して儲けたいのに、総合病院という名を維持するために仕方なく小児科を残しているわけである。といっても、院長や事務長はそんな本音はそうそう言わないだろうけれど、経済誌の編集長などが「えー儲けるなら消化器内科などをどんどん拡充して、儲からない小児科なんて切り捨てればいいじゃん」というのをSNSで見たことがあるわけである。
全部公立化にするなら小児科は切れないであろう。入院患者は少なくていいじゃん、外来だけにすればコスト減になるんじゃないの?という意見もあるかもしれないが、何しろ子供は全力で暴れるのである。採血や点滴をするにも、大人だと看護師一人で十分対応できるが、子供の場合には乳幼児については2人、3人の看護師が必要になるので人件費も必然的に多くなるのである。一方で処置料は子供ということで大人より安くなっている。ということで経営的には小児科医療は難しいと言える。
そういう現実を無視して議論はできないし、野党も現実を知っているからこそ各論に入ることはできず、もしくは勉強した野党議員がきちんと議論をしたとしてもそのことを言っても国民が理解しにくいし、そんなことでは野党の人気が出ない。そのためただひたすらに「与党自民党が悪い」といって与党を悪の親分に祭り上げて、野党を正義のヒーローに擬するしか野党に国民の支持を惹きつける方法はないということではないのだろうか。
それって単に野党の怠慢にしか思えないのだけれど。