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樹木希林の天国からコンニチワ
尊敬する人の年齢がいつまでも遠い。
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樹木希林の晩年の映像をつなぎ、娘の也哉子さんとその足跡を辿るドキュメンタリー「樹木希林の天国からコンニチワ」観た。
生前、特別に樹木希林を敬愛していたわけでもないけれど、映像と声を目の当たりにするとふっと涙が流れてしまった。立ち振る舞いが颯爽としていて、かっこよかったな。
映像の中で、夫のロックンローラー内田裕也さんについて語る希林さんがいちばん可愛かった。
也哉子さんは、こう振り返る。
母は、「清濁併せ呑む」という言葉が好きでした。
自分は限りなく清流を目指しながらも、夫は濁流。それがバランス。それに惹かれていたらしい。
濁流の持つ魅力に、私もなぜか惹かれてしまう。
それは荒れ狂う濁流だけではなくて、静かに黒く渦巻いていたり、ダイナミックに波打っていたり。私はそういう人になれないから、濁流に飲み込まれたくて悪戯に笑ったりしてみる。
なんて樹木希林に同調してみても、私の言葉はどこか薄っぺらいと自分でも思う。たかが20年ちょっとしか生きていないからか。
苦しさを経験したからこそ、年月を重ねたからこその言葉の重みにはいつまでも至れない。
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映像の中で「戦争を経験し得た」という言葉が耳に残っている。「できた」というニュアンスを語れるのは、ちゃんと若い頃の痛み、苦しみ、辛さ、虚しさに正面から向き合ったからだ。
もはや、遣る瀬無さも伴う。その言葉一つの重さ、深さにも慄いてしまった。
若い頃の痛み苦しみを反芻して、シワができてグレーヘアになって、病気を患って、パートナーと分かち難いほどに繋がって。それではじめて湧き上がってくるのが、樹木希林の言葉たちなのかな。
それに出会えた映画でした。
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尊敬する人の年齢がいつまでも遠い。遠すぎる。
でも、憧れる人が不動のままに天国にいるのなら、それはそれで幸せなことかもしれないなとも思った。