「優しいね」と形容されることがたまにあって。 今日もアルバイト先のスイミングスクールの子供たちに、「コーチは怒らないから好き」と言われました。そう言えば、前に少しだけ付き合っていた人にも言われたことがある。「こんなに優しい人に会ったことないわ」と。そんなことないよと言いつつも、別に彼が色眼鏡でそういうことを言っていたわけではないと信じたい。相対評価ではないけれど、実際として私が「優しい」方であることは認めたいと思う。 現にわたしはたぶん、「優しいね」を自分の強みにしている
「西園寺さんは家事をしない」がとてもいいドラマだった。 家族ってなに?幸せってなに?普通ってなに?っていうのを、とってもポジティブにハートフルに描く。みんなの葛藤が愛おしい。 名前がなくても信じられることが、思っていることを面と向かって言えることが、ウルトラCを一緒に考えられる人が隣にいることが、どんなにどんなに素晴らしいか。 私たちにとって何がベスト?ということを考え続けられる関係が最高だ。 * ちょっと思い出したのが、私もそんな不思議なことを試みたことがあったな
14歳の栞を観た。 公開直後からずっとみたいと思っていて、やっと。 まるでホームビデオのようにリアルで煌めく50日間。35人の視点の交錯を生かし、彼らをめいっぱい信じた編集。見たものも巻き込まれ、共感し、感心し、懐古し・・・いっしょに作り上げる映画体験。 生徒を順々に紹介して全編を構成するスタイルは少し単調で、クラスとして乗り越えるべきイベントが1つくらいあってもよかったかなと思うけれど、それは日常を映す上での作り手のこだわりだろうな。それでも飽きずに見れました。編集の
久しぶりに言われることが増えた。 「優しいね」 相変わらずデフォルトが「優しい」なので、 再びどう振る舞うべきか悩ましくなっている。 なぜなら、「優しい」を是としない環境にいるから。 鎧を身にまとった人たちばかりの環境で、「優しい」は稀有な存在になる。 そう、扱われる。 ぶっきらぼうさ、淡々とした言葉、批判批評、怒り、など。 むしろそれが「強さ」に見えて、先輩たちの身の振り方に憧れた。 同時に、優しくない環境にいると、優しい自分でいたい気持ちが顔を出す。 中途半端
東川町にある、大人の学び舎を取り上げた。 去年デンマークのフォルケに行ったときから感じていた「立ち止まれる社会」っていいよなあと感じていて。 適当にやり過ごすのではなく、心から話したいことを話せるピュアな対話が大好きで。 自分を大事にできてはじめて人や社会を大事にできるよね、という健全な循環が出発すると信じていて。 自分が大事にしたい気持ちとか問いがたくさん詰まっていたからこそ、映像で残せたのは本当にうれしい。 良さを伝えるには、実力も尺も全然足りなかったけれど。
「あれは『善い人』にしか作れませんよね」 そう評されて、ギクリとした。 たかが5分の短い枠。高校生たちの熱量をそのままに詰め込んだ文化祭前夜の生中継。ルーキーズの安仁屋や新庄が「シャー!」と叫ぶような、狂った騒ぎっぷり。 この熱量がわたしは大好きだった。 「青春は密だ」ということを思い出すような現場を切り取れて、「面白い中継だった」と言ってもらえて、ちょっとホクホクしていた直後のこと。 「僕だったらあの狂気のような熱量をいじり倒します。疑いを持って作っちゃうと思うん
育ててもらっていたけど、自分で生きる環境にきたんだなあと思う。 やっぱり家事は生きる力だ。
10日間、インドを旅しました。 まだ耳に、クラクション音と犬の鳴き声が残ってる。写真を眺めるともうすでに懐かしいけれど、現場はいつもカオス。そんな旅の道中にいくらか書き留めていたので、ここに。 * デリーから飛行機で1時間。デリーの客引きに疲れていた私たちにとって、ジャイサルメールは良い町だった。ただ、少しの寂しさが入り交じっていた。寄って声を掛けてくる土産物のおじさんたちも、快く迎えてくれたゲストハウスのパダムも、「写真撮るなら10ルピー、あんた達には安いでしょ?」と
「授業サボったりオールしたり出来てる自分がうれしい」と言ったら、「そこから後悔するまでが学生だよ」と言われて、へーと言った去年6月のわたし。 学生最後の雑観としていいのかしらと思いながらも、ちゃんと最近は楽しい日々の中に後悔を感じてる。 華やかなキャンパスから逃げるように熱中できるものを求め、自分探しに奔走した1〜2年生。コロナ禍のスローライフを経て、ほぼ社会人のようなインターン生活で視座が上がったものの、遊びたい欲を高めた3〜4年。 結果、5年生はわたし史上マックスで
一緒にいたい人に、「一緒にいたい」と言える人になりたい。 仕事でも、普段の生活でも。ちょっとだけ先を見据えた時に、そんなことを考えるようになった。
デンマークに来て2週間が経ちました。 完全に東京の夏気分で来てしまったので、サンダルには厳しい石畳みと寒い夜に泣いている。 やっぱり古い建物を残した街は美しく。それぞれの建物に番号があるのが、何となく面白いなと思う。 今はHelsingørという街に来ていて、コペンハーゲンより小さくて観光客も少ないあたりが心地よい。 街からすぐ見えるクロンボー城にも行ったけれど、体調がすぐれなかったこともあってよくよく内観を楽しめなかった。 ただ、人の顔の装飾が多く施されていたこと
母はよく「後先考えないで、大丈夫なの?」と言ってくる。 お節介されたくない、血気盛んな20代は当然聞く耳を持たない。 ああ、また始まったと耳を塞ぐ。 2020年春。あれは私の価値観がグラっと変わった転換期だったと思う。 ひたむきに、パワフルに、強く強く。 そうやって生きてきた私には、ゆっくり過ごすことの本当の意味での尊さを教えてもらった数ヶ月だった。 否が応でも家にいて。 家族以外には会えなくて。 やらねばならないことなんてなくて。 その中で作り出す自分の時間
「ゆく年くる年」が今年もよかった。 年末にかけて堰を切ったように遊んでいたから、危うく忘れるところだった。 2021年には緊急事態宣言が三度発令されたこと、オリンピックパラリンピックが矛盾を抱えながら開催されたこと、医療現場が逼迫していたこと。 人に会えない辛さに身悶えしたり、ワガママに旅行したり、2021年も相変わらず自分勝手だったことも。 お酒に飲まれた忘年会のふわふわした記憶のように、危うく霞がかってしまうところだった。 だから「ゆく年くる年」は、コロナ禍や自
尊敬する人の年齢がいつまでも遠い。 * 樹木希林の晩年の映像をつなぎ、娘の也哉子さんとその足跡を辿るドキュメンタリー「樹木希林の天国からコンニチワ」観た。 生前、特別に樹木希林を敬愛していたわけでもないけれど、映像と声を目の当たりにするとふっと涙が流れてしまった。立ち振る舞いが颯爽としていて、かっこよかったな。 映像の中で、夫のロックンローラー内田裕也さんについて語る希林さんがいちばん可愛かった。 也哉子さんは、こう振り返る。 母は、「清濁併せ呑む」という言葉が好
急いているな、と自覚的な時はまだ良い。 怖いのは知らず知らずのうちに待てなくなっていること。待つという時間を大切にできなくなってしまうこと。 待てない私、を忘れてしまうこと。 * 好きな歌手のCD発売日には予定が入っていて、うう、と思いながら結局1週間くらい歯軋りしていたなあ、とか。 11時くらいに早弁して、部活に行って、夜ご飯にありつけるまでの帰路がやたら長かったなあ、とか(お腹が空くと往々にして機嫌が悪くなる)。 1ヶ月後の旅が待ち遠しくてそのために服買っちゃ
ちょうどこれを書いた時から一年経ったみたい。また一つ気持ちに区切りがついたのでカタカタと書いている。 書き残したいけれど、相変わらず恥ずかしい。いつも以上にくるくると小さく舞っています。 昨年の無念を晴らすべく交換留学に出願し、手にしていたスウェーデンはウプサラ大学ゆきの切符。6月初旬に大学のグローバル教育センターから届いたメールによって、またまた諦めることになっちゃった。 「2021年秋学期については、原則として渡航を伴う交換留学は中止します。 ただし、慎重に検討した