誰かのブレーキに頼りたい
母はよく「後先考えないで、大丈夫なの?」と言ってくる。
お節介されたくない、血気盛んな20代は当然聞く耳を持たない。
ああ、また始まったと耳を塞ぐ。
2020年春。あれは私の価値観がグラっと変わった転換期だったと思う。
ひたむきに、パワフルに、強く強く。
そうやって生きてきた私には、ゆっくり過ごすことの本当の意味での尊さを教えてもらった数ヶ月だった。
否が応でも家にいて。
家族以外には会えなくて。
やらねばならないことなんてなくて。
その中で作り出す自分の時間がとっても大事で。ゆったりとした時間の中からしか、大事なことは見つけられないかもと思った。
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「ブレーキの大事さ」をよく感じたのも、その過程だったと思う。
アクセルとブレーキを上手に使い分けるのは難しい。
自分は比較的アクセル全開で進むタイプだから、自制が効かない。わがままなアクセルをうまくコントロールできないことにハッとしたのも、コロナ禍で「積極的自由」が制限されたから。
あの時に、「もっとゆっくりでいいんじゃん?」と、ブレーキの必要性を、強要せずに静かに教えてくれた人が隣にいたのが、すごくすごく大きい。
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今、将来への決断を迫られている。
心の赴くままに、自分に正直な決断をしようとすると、それは必然的にアクセルとブレーキを上手に使えるか不安なイバラの道になりそう。
結局そういう道を選んでしまうのかもしれないけれど。
いつまでも、母に頼っているわけにはいかない。隣の人に、いつ愛想尽かされるかわからない。
自分でブレーキをグッと踏みながら、カーブ曲がれるかなあ。
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