"ようこそ おかえり”の街~天理教協会本部と天理参考館(企画展布留遺跡の歴史)~
奈良県天理市にある天理参考館で開催されている、第96回企画展「布留(ふる)遺跡の歴史展ー物部氏より前から後までー」というタイトルに魅せされて酷暑の中、天理市を訪れたので述べることにしたい。
ご存知の通り、天理の街は普通の街ではない。天理教協会本部が所在する宗教都市といってよい。だからといってあちらこちらで念仏が唱えられている様な宗教じみた街ではない。直観的に空気が澄んでいる街と感じた。お盆期間の午前中で、道行く人はまばらだが、歩きながら妙に落ち着くのは何故だろう。
天理本通のアーケードを歩くのだが、人がいない。左右の店舗はシャッターが閉められている。お盆休みに入っているのだろう。駅前周辺にも人がまばらだったが、アーケードに入るとさらに人影もない。宗教都市というイメージが強く脳裏にあるのか、何か別世界に迷い込んだ感があった。単なるお盆休みの午前中であるだけの話なのだが…
天理参考館の見学が目的であったが、ここまで来て天理教協会本部を無視する訳にはいかないだろう。天理教に関しての何の知識も持たず、失礼ながら大胆にも信者の体裁で協会本部を参拝させていただくことにした。学生時代(約40年ほど前になるが)、当時の知人に天理教信者の方がおり、正月の鏡開きに招待された。その際に野外でお雑煮を召し上がらせてもらって以来の訪問である。しかしその時は食が中心で、神殿までは関心がなく失礼ながら参拝していない。
私は天理教信者ではないので、教義を語ることはできないし、その資格もない。しかしそのヒストリーは知っておきたい。天理教は教祖中山みき(1798-1887)によって天保9年(1838)に立教された、いわゆる新興宗教である。教えは「陽気ぐらし」(人間が心を澄まし、仲良く助け合いながら暮らすこと。)である。そして親神は天理王命(てんりおうのみこと)であり、人間の創造の元の場所として「ぢば」という地点(ここでは聖地)がある。教祖中山みきが明治8年(1875)に「ぢば定め」によってこの地が明らかにされた。つまり現在の協会本部・神殿中央がそれである。上記写真はその「ぢば」方向に写したものだ。以上が天理教についての概要だが、信者の方が読まれると全く説明にもなっていないとお𠮟りを受けそうだが、何卒、ご寛容のほどお願いたい。
さて、正面から一礼し靴を脱いで、いよいよ南例拝所から入場する。跪いて教義を唱える方はまばらだが、何せ神殿内は広い。畳何千畳あるのだろうか。知識もなく恐れも知らない私は、一目散に中央の神殿、いわゆる「ぢば」に向かった。左右に紫色の装束を来た蝋人形が座っていると思いきや
人間であった。(これまた大変な役目と思った。)中央部分の「ぢば」は一段下がっており、六角形の台が据えられている。これを「かんろだい」と呼ぶらしいが、この地点が”人間創造の元の地点”だそうだ。何とも不思議な光景であった。天理王命は偶像崇拝ではなく”柱”であった。つまり見えないものなのだ。信者の方々はこれを「親神様」と呼んで敬い、かつ親しんでおられるそうだ。見学後、礼拝所の階段を降り靴置き場へ、靴の踵をくねらせていると、横から若い信者と思しき方が、靴ベラを差し出してくれた。何ともタイミングが良く(さすが天理教と思わず心で叫んでしまった。)清々しい気持ちとなった。ついでに「天理参考館はどこですか?」と場所を知り得ているにも関わらず聞くと、「今日はお盆休みかも知れませんので、調べます!」と手に持ったトランシーバーで早速確認してくれた。OKです。あちらです・・と。良い一日になりそうだ。そして指図してもらったのが下記写真である。
ようやく天理参考館に到着し「企画展 布留遺跡の歴史ー物部氏より前から後までー」を心躍らせながら見学する。布留(ふる)遺跡と言えば天理市内を中心に縄文から古墳時代を中心とした著名な遺跡(複合遺跡という。)だ。特にその名を知らしめているのは、古墳時代前期に出土する土器の形式として「布留式」土器という名が、古墳時代の土器である土師器の形式名に使用されているということだろう。因みに考古学者の間ではこの布留式の0式(いわゆるフルゼロ式)が3世紀中頃か否かで、卑弥呼の墓との呼び声が高い”箸墓古墳”周辺から出土する土器に似ていること。それを根拠に箸墓古墳=卑弥呼(没年が239年とされる)の墓とされているそうだが、正直本当だろうか?土器で明確な年代が決められるのだろうか?わからないのが正解であろうが歴史をロマンとして見るには面白い説だろう。要するに専門家の間では邪馬台国論争にこの布留式土器という名は頻繁に出てくるので、重要なキーワードであるには違いない。その元となり最初に命名された土器が地名をとって布留式土器となった。その点で考古学史に残る遺跡といってよいだろう。
天理参考館は国立博物館に比肩するほど、展示物の内容は優れている。とくに民族資料や世界各地の出土遺物はいずれも立ち止まってしまう”逸品”ばかりだ。真柱(教団教祖)のコレクター趣味も多分にあるのであろうが、じっくり見学するには日を改めないと難しい程の内容である。残念ながら出土地が中国とか日本というアバウトな記載が目立ち、よく見ると美術品や骨董品の陳列というそしりは否めない。(考古資料としては出土地、状況把握が最重要であるため。)しかし、これだけの展示物である。一日で見る必要も無かろう。何故なら天理の街角には「ようこそおかえり」という看板をあちらこちらで見かけるではないか。街には徹底してゴミ一つも落ちていない。心身ともに浄化された一日を過ごし、天理の街を後にした。