縄文ワールド~亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)~
青森県の縄文遺跡を訪れた。縄文時代は、日本の歴史の中で自然や食物、そして精神的にも最も豊かだったというが、現地を訪れてそれを目の当たりにした。敬愛する作家司馬遼太郎氏がまさに「北のまほろば」と名言された場所である。まずは青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡を訪れることにした。
つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)を訪問した。縄文時代の土器が陳列ケースに所狭しと並んでいる。縄文時代の土器について専門的なことは分からないが、どう見ても土器の残りが良い。沖縄で見た縄文土器は確かポテトチップス程度の破片しか残っていない印象が強いが、それは本土の西日本地域でも同じだ。縄文時代の土器がどうして残りが良いのだろうか?
上写真は、縄文時代晩期(今から約3000~2300年前)の土器で、下写真は新潟県糸魚川市付近のヒスイ玉である。土器を形つくる美的センスはどうだろう!見事という他ない。現代の服飾にも生かせるモチーフではないか!また硬玉であるヒスイ玉は何と穴があいている。このようなわずか数ミリに満たない玉にわざわざ穴をあける行為をどう考えればよいのだろうか。①時間に余裕があった。(時間がある)②土地にはない珍しいもの(ヒスイ)を遠方から仕入れた情報網・交通網があった。③専門の職人?がいた。等色々な想像を膨らましたが、つまりは生活に余裕があったことが理由ではないだろうか。山では山菜が採れ(採集)、獣を狩りしながら肉を食し毛皮は服になった。(狩猟)海には魚介類が豊富で、毎年ある季節には川に食べ物(サケ・マス)のほうからやってくる。(漁労)そこは米のない生活!シーフードの食べ放題生活である。(何と贅沢なのか!)
これは「北のまほろば」というより”世界のまほろば”だったのではないだろうか。
亀ヶ岡遺跡といえば、この写真であろう。誰しも知っているので除外したいところだが、そういう訳にはいかないのである。そう、遮光器土偶だ!よって由来や来歴は述べない。これは一体何なのか?読者の方々に想像してもらう以外になかろう。何故なら専門家の間でも未だ定説をみないからである。宇宙人を模しているといえば結論は簡単だが、それでは思考が止まってしまう。少なくとも生活必需品ではない。考古学の世界では、わからない遺構が出るとすべて祭祀(祭り)遺構にしてしまうという。これも祭りや祈りで使用した偶像なのだろうか?それにしても何をもってこのような土の焼き物をつくったのか?わからない…という回答が正解なのだろう。21世紀に生きる我々現代人の目にも素晴らしいと感じる精巧な土器や文様を制作できたのが縄文人である。であれば人の顔を実写した土偶があっても何ら不思議ではないのだが…本当に謎というしかない。
遮光器土偶との関係で、どうしても訪問したい場所があった。決して鉄道マニアではないのだが、上記写真(2枚)を見て頂ければご理解されるかと思う。JR五能線木造駅舎の正面に、遮光器土偶のモニュメント(名称:しゃこちゃん 高さ17.3m)がある。列車が到着するたびに遮光器の目が光るそうだが、カルコの案内の方が言うには「駅員さんに申し出ればいつでも目を光らせてくれます。」とのことだ。木造駅到着後、早速駅員に申し伝え、目を光らせて(輝かせて)もらったのが下写真である。(しかし毎回こんなリクエストにお答えする方も大変だろう。駅員の方に仕事を増やさぬよう配慮されたい。しかし一度は訪問されることを…おすすめしたい。)
今回、墓には触れなかったが、亀ヶ岡遺跡は低湿地と標高10~20m程の台地からなり台地上には縄文時代の共同墓地というべき墓地群が発見されているという。沖縄から青森へ距離にして約2800㎞、気温差20℃を体感している。しばらく縄文の旅を続けることにしたい。