博物館構想の祖~漂泊の旅絵師・蓑虫山人~
今回は、ゆかりの人物に光を当ててみたい。その人、蓑虫山人(みのむしさんじん 1836~1900)の名を知っている方は少ないであろう。むしろ何という風変わりな芸名であろうか?(本名でないことは承知されよう。)というのが第一印象であろう。その名の如く、かなり変わった方であったようだが、全国各地放浪の旅に出て、各地の古器物(土器や石器等)を収集し、それら(それ以外も多々あり)を絵に残した旅絵師である。青森県を訪ねる際に一度はこの絵を実見したいと思っていた。この人物に興味を得たのは、彼が歩んだ漂泊人生にも憧れを覚えたからかも知れない。その姿は「笈(おい)」という約2m四方、たたむと約1m程になるテントを背負い、各地を野宿するものである。ターゲットは素封家(大金持ちの家、富裕層)で、それらを渡り歩き、所蔵している古器物を描く絵師として生計を立てていたようである。諸般の事情から彼の漂泊生活は14歳から実に47年間続き、各地にその業績を残すが、とりわけ青森県には約10年間滞在していたようである。彼にとって魅力ある地域であったことは、青森県が縄文遺跡の宝庫であることからも想像に難くない。
下写真は青森県立美術館に特別展示されていた蓑虫山人作「陸奥全国古陶之図/陸奥全国神代石之図」12点である。下調べをせずに県立美術館に立ち寄ったのであるが、特別展示の入口で「宣言1 蓑虫山人:収集から共有へ」と題されて山人の絵がズラリと展示されており大変驚いた。考古学で扱う正確な実測図面とは程遠いが、プロ絵師だけに質感や厚み等の臨場感が伝わってくるようで楽しい。
蓑虫山人、本名を土岐源吾といい岐阜市出身の画人と紹介されている。彼は世捨て人的な放浪生活をしながら、各地を漫遊し本業の絵を残した。また余り知られていないが、若くして日本全国、六十六ヶ国の古器物を収集し、それらを展示する「六十六庵」と称する個人施設の設立を目指している。今でいう全国の博物館設立構想というべき最初のものであろう。
旅をすれば色々な人と出会うが、過去の人とも出会うのが歴史旅の醍醐味である。相当風変わりな人物(奇人というが)だろうが、歴史に名を残す人の多くは普通でない人物だ。もっとも今の常識は過去の非常識かも知れないし、過去の常識は今の非常識であることも多々あろう。しかし写真の無い時代に絵を残すことは、それ以外確認の術がない我々にとっての宝物といえる。本人が後世に残そうとしたのか否かはわからないが、歴史を考えるうえで大きな功績を残してくれたことに変わりはない。64歳という(若さ?)でこの世を去った山人であるが、本人としては充実した、悔い無き人生だったに違いない。青森を旅して思わぬ人と出会った。機会をつくって山人の墓参りをしたい…そう思った。