一歩を踏み出す重さが“重い”か“軽い”かだけの話
「なかなか行動に起こすことが出来ません」と相談をしてくる人がいる。
そもそも行動が出来ない人なんて、いないと私は個人的に考えています。
今回はそれに関連することを発信していきますね。
誰でも一歩目を出すことは出来る
行動は起こそうと思えば誰でも起こすことが出来る。
何故なら行動を起こしている人が現にいるから。
いかにも精神論ぽい内容ですよね。
しかし、私の周りにはそのような相談をしてくる人が多くいます。
「なかなか前に進むことが出来ません」
「いざやろうと思ったら後退りしてしまいます」
前に進むことが怖い。
失敗するのが怖い。
と感じている人は多くいるのです。
確かにそのような気持ちを抱くことは仕方のないことだと思います。
何故なら“誰でも失敗することに対して恐怖心は必ず存在するから”です。
しかし、裏を返すと初めの一歩を踏み出せない人は失敗さえ経験することが出来ません。
単なる“失敗する”という妄想だけで終わるのです。
一歩目踏み出した妄想をし。
失敗した妄想をする。
それを繰り返し、結果として踏み出すことができない。
そのような人も多いのではないでしょうか。
この話を見ていて思った人もいるかもしれませんが、
一歩目は誰でも踏み出そうと気持ちを持っています。
しかしその踏み出す足の重さが一生前に出すことが出来ない重さなのか。
毎回軽快に踏み出すことが出来るくらいの軽さなのか。
程度の違いでしかありません。
一歩目踏み出した後の歩むスピードも人によって異なりますが、
それはまた別の話とします。
失敗が怖いから踏み出せないのであれば、
失敗しない人生なんてあるのか?と自分に言い聞かせる。
失敗しない人生、、、、、私もそんな人生を歩んでみたいです。
しかし失敗をすることは学べることが多く存在しています。
例えば営業に行った際の話。
お客さんが本当に求めていることを間違え、提案した時。
まず一歩目の“提案”をする。ということがなければ、
提案を“失敗”するということに気づくことは出来ませんでしたよね。
失敗することによって、「次、このような提案をしていこう」と考えることが出来るのです。
日常で見ても小さな失敗は多く存在しますよね。
それだけ失敗は身近なのです。
しかし大きな失敗を避けるために、小さな失敗も怖いと感じてしまう人が多いなと感じています。
失敗を失敗と感じなければ良い。という人もいます。
しかしそれは個人的には反対です。
失敗は失敗と判断して良いのです。
前者の捉え方だと、言い訳に近しいことになってしまいます。
失敗は失敗と受け入れ、一歩目を出す重さをだんだんと軽くしていく。
そうすると失敗から学び。
学びから次の一歩目になり。
一歩目がだんだんと軽くなってくるのです。
“失敗は友達”くらいのキャプテン翼並の考えでも、
気軽で良いのかもしれませんね。
そんな気分で今日も1歩目を踏み出してみようと思います。