『相手意識の育み方①』
1年生を担任しているからか、『素地』に意識が向きがちです。
当然、1年生にも6歳までの経験が素地としてあるわけで、イチからのスタートではありません。
6歳までの経験をこれから生きていく先へとつなげる作業をしていきます。
そう考えると、何年生を担任する場合でも『素地』を意識することは大切です。
『相手意識の素地』について考えます。
『相手意識』を検索すると、「文章や会話などの受け手がどのような人であるかを気にすること(デジタル大辞泉)」と出ました。僕のイメージしたものと少し違いました。
僕は、「文章や会話などの受け手の反応を予想したり、想像したりする心持ち」をイメージしています。
つまり、「これをすれば、〇〇さん、きっとこんな反応するだろうな」とワクワクするような心の在り方を『相手意識』と呼んでいます。
この『素地』のスタートは、両親だと思っています。
反射が取れてきた位の0歳児、何も話せないのに、両親へ働きかけていると感じることがあります。
(思い込みである場合も多いです。この思い込みが発達を促すのかもしれませんが、それは別の話)
例えば
①0歳児が、両親に向けて何か音を発する。
②両親が、「すごい!今、ママって言ったんじゃない?」と騒ぐ
③0歳児は、両親の反応が嬉しい
④0歳児は、また音を発する
④の0歳児は、両親の反応を期待して音を発しているのです。これに限ったわけではありませんが、『相手意識』の芽生えはこの辺りにあると思っています。
両親の反応を期待して行動していたのが、その対象がどんどん広がっていくイメージです。
この「範囲の広がり」に加えて、「質の変化」もあるのではないかと思っています。
「質の変化」にも2つあります。
・直接的な報酬を求めなくなる
・なぜ行動するかの意味づけが個性化する
この「質の変化」を理解しておくことが、『利他的な活動』を教室で進める時のポイントです。
例えば、「〇〇をして□□さんを笑顔にしよう」という活動をするとします。
その時に、そもそも笑顔という報酬程度では「やりたい!」と思えない子がいるのです。
その子にとって、〇〇を準備するときのモチベーションは笑顔にないということがわかっていないと、その活動には、注意的な指導をしなければ可能性が高いことに気づけません。
恐らく、この子はクラスの中でも困りを抱えがちな子であることが多いはずです。活動を進めれば進める程、その子への注意的な指導は増え、その子に対するマイナスのレッテルがクラスの中で作られてしまいます。これは、担任としては本意ではないはずです。むしろ、そういう子を育てたいと思って取り組んでいる先生も多いはずです。
少し話がそれましたが、そうならないように、「質の変化」を踏まえる必要があるのです。
しかし、そう考えてしまうと、色んな活動で躊躇してしまいます。
そうした気持ちを促したいのではありません。
本稿で言いたいのは、 様々な場面で様々な段階を踏んで指導する必要性です。
時間がなくなってしまったので、次回へ続く…