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『「つくる」を考える』

ここ数年、テーマとして『つくる』を挙げています。

前任校で研究主任をしていた時のことです。

その辺りでは、特別活動主任もしていて、授業だけでなく、様々な活動を通して、子どもの「楽しい」「わかった」「できた」につなげようと、頭を悩ませていました。

・授業のUDを取り入れ、すべての子どもが参加・理解レベルまでは持っていこう!

・4つのズレ(尾﨑正彦先生)を取り入れ、子どもの問いを引き出し、共有し、自分事の学びを作っていこう!

・児童会の形を見直し、子どもたちが自分の学校だと思えるシステムづくりに挑戦しよう!

前任校での経験は、今の自分の『まんなか』につながる貴重なものでした。


しかし、そうやって取り組む中で、『自分事』につなげるための何かの主語が、いつも教師側にあることに違和感を持つようになりました。

『共有化』『視覚化』『焦点化』しているのも教師、ズレを意識させるのも教師、本当に児童会を動かし違っているのも教師…学校の様々をつくっているのは教師なのだなと。

これは、当たり前で、悪いことではありません。しかし、子どもが本当に「作っている!」と感じることはできないのかなと考えるようになりました。

そうやってモヤモヤしている時に、コロナ休校が始まり、あんなにイキイキと授業を楽しんでいた子どもたちが、自分では学べないことにも気づきました(プリントを進めるという意味ではなく)。

結局、子どもたちは、自分の学びに対して『自分事』だとは思えていなかったのだなと、気付かされました。


『自分事』『自分達事』として、子どもたちが目の前の材に全力で向かっていけるような、自分自身の在り方について、考えるようになりました。

そこで、「つくり手」の主語を意識するようになりました。


「学校、めっちゃ好き!」「算数、めっちゃ面白いね!」と子どもから聞いたり、「授業が面白いと言っています」「学校が楽しいと言っています」保護者から聞いたりできると、嬉しいです。良かったと安心します。でも、その『好き』『面白い』『楽しい』は、誰が「つくった」ものかを考えます。

その主語をできるだけ子どもにしていきたいなという思いです。


授業でのあるべき形を考えています。

うまくいかないことの連続で、その「うまくいかなさ」を考えています。


昨日『クリエイティブ・ラーニング(慶應義塾大学出版)』と『ジェネレーター(学事出版)』を読んでいて、

・「チャレンジング・ミッション」の視点が弱いから、協働が起きにくいのかもと…

・「ディスカバリー・ドリブン・エクスパンディング」が「問いづくり」に近いけど、もう一歩が必要か…

・やはりP課題ということになるのか…

と、モヤモヤ、グルグルとしています。

でも、書いてあることをそのまま受け入れ、これまでの自分を否定するようなことではなく、新しいものを吸収し、自分の授業観をバージョンアップさせていきたいなと。

そして、GW明けの授業に備えることを目標に、考え事をしています。


今、特別活動主任をしています。

児童会や委員会、クラブやたてわりの在り方やシステムを見直しています。

大人も子どもにも無理が生じない、自然な「場づくり」として、理念や歴史を共有しながら、システムづくりに取り組んでいます。授業だけでなく、学校風土のようなものも大切だと思っています。

「自分達でつくれる!」と子どもが思える文化やシステムがあって、授業も同様に考えられる、そんな学校づくりに貢献したい思いです。

学校の雰囲気を子どもたち側から作りたいなと思っています。

何巡もすることで、子どもが感じていくものなので、気長に取り組んでいきたいと思います。


学校、学年、学級、授業、職員室…プラスの空気を「つくって」いくのは誰なのか…誰を主に置くべきなのか、よく考え、実践し、振り返りながら、日々進展していけば良いなと考えています。


GW明けには、子どもたちで話し合って設立したクラブや委員会を、4・5・6年生が一気に集まって話し合う『高学年集会』を開催します。

同時並行で、児童会運営委員選挙も行います。1年生も含めた全校児童に投票権を持たせるのは、今回が初めてだそうです。ならば、立候補側への働きかけだけでなく、投票する側への働きかけに注力したいと思っています。この1票が、学校を「つくる」ということなのだという意識。その1票をいただくという重み。

当選するしないに関わらず、学校の「つくり手」としての意識をもてたことの尊さ、いろんな指導する場面があります。楽しみです。

さらに同時並行で、連休の合間に『たてわり遠足』にいきます。連休明けには、『たてわり掃除』も始まります。これらも、毎年ある当たり前ではなく、「自分達で新しい文化を作っていく」という意識と、「最終的にその文化を後輩に引き継いでいく」という意識を持たせながら取り組んでいます。

目が回るようなスケジュールで、自分自身はアタフタしていますが、子どもたちはそうでもないです。

それは、ICTの支える部分が大きいなと感じます。

教職員間で共有している書類に少し手を加えてチャットで流したり、それぞれが作った進行表やスライドをロイロやドライブで共有したり、いろんな情報が端末で確認できたり…ICT様様です。

成功・失敗に関わらず、こうやって自分で取り組んでいるという感覚を持った子どもたちの目はイキイキしています。すごくいいなと。


今、委員会や児童会が始まる場面で、「休み時間が減るのは嫌やけど…」という話題が出ます。

この発言をどう受け取り、どう解釈していくかは、子ども主体のシステムが続くかどうかの勘所だと思っています。

「それを面白いと思えるのがいいんだよ!」では、きっと続けられない時が来てしまうのだと感じます。

でも、自分の時間を費やすことをマイナスだと思わない位に没頭・熱中して欲しい思いはあります。

今年は、児童会を、運営委員、委員長、学級代表で集まって行うつもりでいます。

どの時間に、どの規模で、どの頻度で集まるかがポイントだと思っています。

でも、これも委員会やクラブなどと一緒で、目的に応じて、様々なサイズ感で集まればいいんじゃないかなというのが、今の考えです。

それを教師が指示するのではなく、子どもが自分で集まり、担当に報告したり、チャットで共有したりできるようにしたいなと思っています。

子どもが文化として継承していくことができれば、教師がわかっていなくても子供だけで動ける。

実は、そのレベルまで達して初めて、子どもが「つくる」を実感しているのではないかと考えています。

特別活動主任として頭パンパンなので、話が逸れまくってしまいました。

これと同じように、授業も考えられるだろうなと思っていて、その材が、教科の内容になっているというだけのことだろうと。

UDや尾﨑正彦先生から教わったことなど、これまで自分の中で大切にしてきたことは継続しつつ、自分の授業観をどこに向かわせていくのか…いろんな刺激を受けながら考える最近は、教師の楽しさをあらためて感じています。

日々、振り返り、課題を明らかにし、考え、調べ、再試行する。この繰り返しが、本当に面白い。

子ども達にも、その面白さを味わって欲しいと思います。

自分のこれまでと、学びの楽しさと、新しい刺激と、そんなこんなを総動員させて、より楽しい学校や学級を、子ども達と一緒に「つくって」いきたいなと。


そんなGW2日目。

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