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山添寛に魅了される自分が悔しい
一人で部屋で声を出して笑っているとき、なんかとても充実した気持ちになる。だれかと話しているときももちろん声を出して笑うわけだが、それは果たして「本当に声が出るほど面白い」のか、それとも「笑っていることを相手に伝えるために声が出る」のか、と面倒なことを考えてしまう。
とにかく一人で部屋で笑っていると、部屋の天井あたりの目線の自分が「誰も見てないのにそんな爆笑するってことは本当に笑ってるんだなぁ」と言ってくる。
ここ最近で私を爆笑させてくれた、とあるラジオの話をしよう。
相席スタート山添寛のサクラバシ919
今年の4月からラジオ大阪でスタートした番組なのだが、私は先月から聴き始めて一瞬でハマってしまった。
話している内容はほぼ覚えていなくて、記憶にあるのは競馬の話くらいなのだが、とにかくはじまって数分で爆笑してしまう自分がいる。
さっきから「ハマってしまう」「爆笑してしまう」と後悔を示すような書き方をしているが、私は正直まだ山添さんのファンになることに抵抗があるのだ。
そもそも私がファンになってきた人たちは皆、”尊敬できる、憧れる”ような面を持っていた。オードリーの若林さんの思考に共感し、尊敬し、ハライチの岩井さんの生き方に憧れている。テレビプロデューサーの佐久間宣行さんのような人間になりたいと思う。
山添寛のファンになる決意ができない
そして私は、山添さんのようには全くなりたくないのだ。ギャンブルにハマりたくないし借金と無縁の人生を過ごしたい。クズなのに飄々としている感じも、人として尊敬できないなぁと思っている。友達にいたら、お金貸してと言われる前に縁を切ることを選ぶだろう。
なのに、山添さんの一人喋りでめちゃくちゃ爆笑してしまうのだ。ラジオのなかで探した”サイン”を手掛かりに賭けた競馬で負けた話を聴いて、ものすごく他人事として爆笑できる。リスナーに尊敬のまなざしを向けられたり、見放されたりする山添さんがめちゃくちゃ面白い。
とても常識ある人間とは思えないような思考やエピソードを聞いて、なぜか嫌悪感ではなく親近感に似たようなものすら覚えてしまうのだ。
聴いているうちに気が付いてしまったことがある。私から「こんなことをしてはいけない」という自制心を取り除いた先の延長線上のかなり遠くの方に、おそらく山添さんがいるのだ。
でもそれは多分、私だけではない。
「バニー」という、山添さんが今後あらゆるテレビでどんな行動をとるのか。そのシチュエーションを送ってもらうコーナーがある。山添さんの行動を予測できるってことは、みんな心の中に山添さんをもっているのだ。それで笑える私たちの心には、インナー山添が眠っているのだ。
そしてどこかでそんな山添寛に憧れている自分がいるのが悔しくて、でも面白くて笑ってしまう。いい加減、自分が山添ファンであることを認めなければいけない。
山添寛のファンになった暁には
一度、自分が山添寛のファンであることを認めてみることにした。ファンになった理由を嬉々として語れるかどうか、考えてみた。
まず山添さんはものすごいスキルを持ち合わせている。MCもトークもロケもできて、爽やかにもなれてクズにもなれて、それでいてサイコパスである。めちゃくちゃすごい。
そして、これだけクズでありながら人間性が腐っていない。潔いほどポジティブで、話を聴いていて微塵も嫌な気持ちにならない。山添さんは自分に自信を持っていて、精神的にとても自立しているように見える。
このnoteを書いている今もミクチャで山添サクラバシ919のアーカイブを見ているのだが、だんだんカッコよく見えてきた。声も、大阪弁の感じも、笑い方も、”山添ファンになりたくないバイアス”を取り除けばすごく好みだ。
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これだけ書いていれば、もう自分が山添ファンではないとは言えない。いや、山添さんのすごさはこんなもんじゃないはずで、私が知らない魅力がまだまだあるのだと思う。
私が競馬に手を出しそうになっていたら誰か止めてくださいね。
<6月14日追記>
このnoteがどうやら山添さん本人の目に届いてしまったらしい。
こうなればもう私は山添沼に一直線である。