大学教員始末記(3)
自己紹介代わりのWikipedia
授業の「まくら」で使い始めたWikipediaの記述というのは、なぜか「著名な論説委員」の項に筆者の名前が登場したのが発端だった。大学教員に転職したのに現職のままになっていた。「北海道支社編集委員兼務」とあったので、その時代の記事を読んだ人が入れたと推測できるが、名前が登場したのが新聞社を辞める数か月まで、とっくに北海道を去ったあと。更新記録を確認していくと、常にズレがある。
しかも論説委員だった期間は短く、社説を書いた本数はごくわずか。「著名な論説委員」という評価はあり得ない。そもそも社説に署名はなく、著名と言うなら本業以外で目立っていることになり、言葉として矛盾もある。この欄はほかの人も「現職」が辞めていたり「元職」の肩書きが違っていたりで、全く使いものにならない。筆者のいた新聞社は「現職」がゼロなのだ。
ちなみに、授業の冒頭では「私のことを知っている人?」と問いかけることにしていた。過去に別の授業を受けていない限りはまず知らない。「先に調べておくべきだよね」と問いかける。記者であれば身についている習慣でもある。検索した学生は元新聞記者だと気づくことになるが、裁判官、市長、大学の先生に同姓同名の別人がいて、たまに勘違いをする学生もいる。
この後にWikipediaで「論説委員」を調べさせる。最初の授業でこの話をすると、筆者の名前はほどなく元職に移った。と思ったらすぐに名前が消えた。「著名な論説委員」ではないので文句は言えない。そして次の学期に「消されたんだ」と話すと、元職に名前が戻っていまに至る。もちろん証拠はないが、時間の流れから学生の仕業であることは99%間違いない。
授業後は、自分に身近な人物や、調べてみたい肩書などを決めて、Wikipediaの変更履歴を調べさせるレポートを課した。非常に詳細で、その道の専門家やマニアが修正しているものもあるが、それぞれ自分の興味ある分野で、記述のアバウトさを認識することになる。
「メディアは媒介物、必ず変化する」
さて、初回の授業はさすがに「マスメディア」とは何かを簡単にでも説明しておく必要がある。ここでどうしても伝えておく必要があるのは「メディア」は「媒体」「情報を伝える媒介物」を意味することだ。「媒介」すれば必ず変化する。
最近では「印象操作」という言葉が特にネット上で飛び交うが、誰かが切り取って伝えるのだから、ある意味、変化して当然であることを伝えたいのである。それを前提にして、冷静にマスメディアが伝えることが正確なのか読み取ってほしいし、複数のメディアを比較してほしいのである。
「ドッグイヤー」と言われるほど時代の変化が激しいことにも触れておく。新聞の発行部数の激減、スマートフォンの爆発的な普及、そしていま当たり前に使っているSNSの歴史がせいぜい10数年にすぎないこと、などである。
「マスメディアと社会」の「社会」を本格的に考えるのは2回目から。ものすごく大づかみだが、ロボット化(自動化)、高齢化、グローバル化あたりがキーワードということになる。
(2024/5/4)