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【表現研】「メモリーズオフ」 はじまりの場所【ヒストリア発売によせて】

※この記事には作品のネタバレが含まれています。

 メモリーズオフヒストリアという、メモリーズオフ過去作を収録した、シリーズ集大成のゲームが2021年3月25日に発売された。メモリーズオフがどのようなゲームであるかに関しては下に譲る。

 この記事の目的は、過去の自分を保存しておくことである。記事を書いている時点では、まだメモリーズオフヒストリアをプレイしていない。古い記憶を引きずり出し、昔の感性のまま書かれている。

 時が経ち、自分はどのように変わったのだろうか。それを知るいい機会だ。プレイ後の記事はいずれ書くとして、今は過去の自分を復元したい。
 
 この記事は完成させようと思いながら1年以上放置していたので、もはやリアルタイム性はない。完璧にしようと思うといつまでも終わらないので出すことにした。

■メモリーズオフとは

 メモリーズオフというゲームがある。KID社より1999年にプレイステーション1(PS1)で発売された恋愛ADVゲームである。内容は選択肢を選んで物語を読み進めていく、標準的なノベルゲームとなっている。

 同作品はシリーズ化しており、途中から開発が5pb.(現在MAGES.)に変更されたものの、2018年に至るまで、ファンディスクや女性向けタイトルを除き、8作品がナンバリングタイトルとして発売されている。これだけ歴史が長い作品は、恋愛ゲームという括りを外しても珍しい。近いところで言えば、ガストのアトリエシリーズ、アークシステムワークスのギルティギアシリーズと同程度の歴史がある。これらは全てPS1から始まったシリーズである。PS1の時代は新規参入の黄金時代であり、様々なメーカーが様々な切り口の作品を開発していた。

 以前の記事と重複するが、メモリーズオフは、恋愛ADVという世界で、現在活躍している人材が、集結していた作品である。例としては、Infinityシリーズの打越鋼太郎氏、科学ADVシリーズの志倉千代丸氏、科学ADVシリーズの脚本である林直孝氏、科学ADVシリーズのキャラクターデザインであるささきむつみ氏、全作品のBGMを担当している阿保剛氏等が挙げられる。

 シリーズの最大の特徴は、恋愛ゲームっぽくない恋愛ゲームというところにある。語尾がおかしいキャラはいないし、髪の色が非現実的なキャラもいないし(若干はいる。少ない)、アダルティックな要素もない(特に初期作品)。恋愛ADVとしては薄味だったが、ギャルゲーすぎない、現実に近いという、独特の空気感を持っており、同系統の作品は少なかった(周りが濃い味付けばかりだった)が故に、ニッチな市場を独占してきたと言える。

 物語の内容は、何かしらのトラウマを抱えた主人公が、恋愛を通じてそれを克服するものである。程度の差はあれど、シリーズ通して、この主題はほぼ一貫している。メインヒロインが二人存在するという部分も概ね一貫しているが、作品によっては一人であることもある。

 グラフィックやBGM、UI等の質が高く、特にUIは、セーブデータの数の多さ、スキップの快適さ、画面の見やすさ等で、発売当初から一貫して高い評価を得ていた。

 グラフィックは常に高いクオリティで、作画がおかしいようなものはほとんど見られない。枚数も十分確保されており、どの作品も、この点でケチを付けられることはなかった。作画班を把握しているわけではないが、相当優秀なのだろう。ただ、キャラクターデザインは頻繁に変わっているので、絵柄自体にメモリーズオフの共通性はないと言える。

 一方、BGMは全編通して阿保剛氏が担当している。シュタインズゲートのメインテーマである「GATE OF STEINER」の作曲家であり、名前を知らない人でも、この曲は聴いたことがあるかもしれない。
 メモリーズオフの共通性を見いだすとすれば、トラウマというシナリオに加えて、阿保氏のBGMである。トラウマに関しても、作品ごとの重要度は異なるので、全作品の共通項は、BGMだけ、とさえ言える。氏は、メモリーズオフのBGMにおいては、ピアノを多用している。この繊細で儚げな楽曲群が、シリーズ独特の、透明感を持った世界観を作り上げている。
 新作をプレイする時は、メインテーマを聞くことにより、メモリーズオフの世界にスッと戻ってくることができる。これほどまで、世界観にBGMが浸透していることに、毎回驚かされていた。

 一部では新人声優の登竜門とも言われていたこともあり、現在の人気声優の、かつての姿(声)を目にすることが出来る。有名なところで言えば、田村ゆかり氏や水樹奈々氏、沢城みゆき氏が初期3作に出演していた。

 ナンバリングタイトルは、その全てが大傑作というわけではない。他のシリーズ作品と同様に、質や人気はかなりの浮き沈みがある。

 8作品を時系列順に並べると次のようになる。

 メモリーズオフ(1st) 1999年 PS
 メモリーズオフ 2nd 2001年 DC/PS
 想い出にかわる君 メモリーズオフ 2002年 DC/PS2
 メモリーズオフ それから 2004年 PS2
 メモリーズオフ♯5 とぎれたフィルム 2005年 PS2
 メモリーズオフ6 T-wave 2008年 PS2
 メモリーズオフ ゆびきりの記憶 2010年 Xbox360
 メモリーズオフ イノサンフィーユ 2018年 PS4
 (PS:プレイステーション DC:ドリームキャスト)
 ※移植作は除く

 以下、この8作品について解説をしていきたい。

 ここでは小説やファンディスクを考慮せず、本編のみで語っていく。

■メモリーズオフ(1st) 

 記念すべき最初の作品である。澄空学園という高校が舞台で、季節は秋となっている。ギャルゲーの季節設定で秋は珍しい。

 ヒロインは幼なじみ、転校生、後輩、年上の大学生、ちょっと変わったクラスメイトと、普通の構成であり、目新しいところはない。ただ、このシリーズは目新しさを求めるゲームではない。上述のように、ギャルゲーすぎない、完全に現実的でもないという、独特の空気感が売りなのである。

 物語は実に淡々としており、起伏はなく、何かイベントがあるわけでもなく、学校を行き来して、キャラクターと会話することがメインコンテンツとなっている。物語のイベントらしきものは定期テストだけなので、完全に普通の学校生活と言える。この空気感の中で生じていく、わずかな変化を楽しむことが、この作品の価値である。

 ゲームは登校するシーンから始まるのだが、このシーンで一気にゲームへ引き込まれた記憶がある。正直、キャラクターの会話は何の変哲もないものだったが、秋の朝の、少し冷えた感じの空気感を表現したBGM「Each and every heart」に、思い切り心を掴まれた。シリーズのファンなら、イントロを聴いただけであの世界観を想像できるのではないだろうか。この曲でなければのめり込まなかったかもしれない、というくらいに衝撃だった。

 物語は、上述の通り、トラウマを抱えた主人公が、恋愛を通してそれを克服していくという内容になっている。トラウマ度合いは作品ごとに異なっているが、初代はその要素が強い。

 この主人公は相当癖が強く、数々の奇行や迷言を残しており、それを笑い飛ばせるかで、作品の評価は異なる。個人的には笑えたのだが、次作では普通の主人公になっていたので、拒否反応は小さくなかったのかもしれない。また、親友である「稲穂信」は、メモリーズオフ全作に出演している恒例キャラクターとなっている。

 初代は、同じタイトルでも2種類のものが存在する。PS1のオリジナル作品と、ドリームキャスト発売されたCompleteである。実はこのオリジナルとComplete、かなり文章が異なっている。場合によっては展開がカットされていたりするので、別作とまではいかないが印象が変わることがあった。私はオリジナルの方が好きなので、PS1の作品を引っ張り出すことがある。

 色んな意味でシリーズの方向を決定づけた作品である。と言いたいが、実際のところ、エッセンスは引き継がれているものの、次の作品はカラーが変わっている。

■メモリーズオフ 2nd 

 初代から各要素がクオリティアップしており、なおかつメインヒロインと付き合っている状態で物語が始まるという、設定勝ちの色が強い作品である。癖の強かった初代の主人公からかなりマイルド化しており、トラウマという要素も抑えられているので、より遊び安くなっている。設定上、メインヒロイン以外を選ぶと必ず修羅場が発生するので、そこが見所といえる。メモリーズオフと言えば「修羅場、三角関係、泥沼の恋愛」という認識がもたれていることも多いが、2ndが起源である。

 浜咲学園という高校が舞台となっており、この高校は後の作品でもよく見られる。主人公はサッカー部を引退した直後で、人生の目的を見失っている、という出だしになっている。1stのように重いトラウマは抱えていない。

 ヒロインはピアニストの卵、その親友、その姉、クラスメイト、バイト先の後輩、先生となっている。このピアニストの卵と付き合っているわけだが、その姉や親友も攻略対象である。

 ピアノがテーマのひとつになっているので、メモリーズオフのBGMと言えばピアノ曲、という印象を決定づけたゲームである。

 一般的にはおそらく1番人気の作品で、知名度も高い。スタッフの気合いが相当入っていたことも、細部から読み取れる。しかし、個人的にはメインヒロインと主人公が理解不能だったので、語ることがない。二人の感性が最後まで理解できなかった。感性が合わなかったので、話も頭に入ってこなかった。仕方がない。そういうこともあろうかと思う。私には合わなかったというだけの話だ。

 「2nd」は静かに通り過ぎたい。

■想い出にかわる君 メモリーズオフ

 唯一メモリーズオフが副題になっている作品である。対象年齢を上げたのか、主人公が大学生の設定になっている。しかし、大学は中心の舞台ではない。街にあるカフェを通して登場人物と交流していく内容である。

 ヒロインは今まで異なり、かなりの変化球を投げてきている。いくつか挙げると、昔の彼女、車椅子の少女、芸術家肌の同級生など、人数が多いので全てを挙げていないが、前作までとはキャラクターの空気が変わっている。

 想い出に変わる君は、語ることが難しいタイトルである。手を抜いたというわけではなく、相当に力が入っていることは読み取れるのだが、内容的には欠陥が目立つ作品だった。

 欠陥の方から語ると、主人公がそれなりのトラウマを抱えているものの、その点に共感できず、おまけに無気力系の男で基本的に流されるままとなっている。さらにヒロインは全員癖が非常に強く、素直に入りづらい構造である。話は全体的に暗く、ギャルゲーのはずなのに、男が前面に出てきたり、内容に絡んできたりと、シナリオが悪い意味でゴタゴタしている。口当たりが悪いというか、物語をシンプルに味わえない。

 これらの「外して」きた要素は、特段目を引くこともなく、ユーザーに受け入れられることもなく、評判を聞く限り、不評に終わった。

 よい面は、グラフィックに気合いが入っており、ヒロインの多さもシリーズ随一で、シナリオのボリュームが増えていたことが挙げられる。

 間違いなく手をかけて作られているのだが、大学生という設定が由来しているのか、欠陥が目立ちすぎて長所も打ち消され気味であった。

 とはいえ、個人的には好きな作品である。ヒロインの癖が強すぎることをプラスと捉えるかマイナスと捉えるかで、大きく評価に差が出る作品かもしれない。

■メモリーズオフ それから

 前作の不評を受けてなのか、高校を舞台に戻した作品となっている。ただし卒業間近なので、学校の重要度が高いわけではない。

 構造的には好評だった2ndの焼き直しに近いが、2ndとは逆に、メインヒロインに振られるところから始まるという、衝撃的な展開になっており、掴みはバッチリだった。しかも振られた理由が「最初から好きじゃなかった」という、あからさまな嘘から始まっており、かなりミステリアスになっている。キャラクターも「想い出にかわる君」に見られた癖を排除しており、以前の造形に近い。

 ヒロインはピアニストの卵(二度目)、古い家のお嬢様、妹、モデルのお嬢様、カフェの店員という構成で、お嬢様が多い。

 隙の無さという意味ではシリーズで随一の作品である。メモリーズオフとしては珍しくメインヒロインが一人だけになっており、その分深く掘り下げられている。サブシナリオの質も高く、グラフィック、BGMと、全てにおいて非の打ち所がない。今作からはミステリーの要素も加わって飽きさせない構成になっている。

 ただ全体的に高品質で、欠点がない故に、あまり語ることがない。この作品ならではの、唯一の特徴がないとも言える。イメージとしてはシルバーコレクターに近い。しかし、最後のED曲だけは間違いなくゴールドだった。

■メモリーズオフ♯5 とぎれたフィルム

 再び舞台を大学に戻した作品である。今回は映画制作という明確な目的を持った主人公を設定している。「想い出にかわる君」の反省だろうか。シリーズでもここまで明確な目的を持っている物語は珍しい。前作以上にミステリー色を強めた作品であり、主人公の親友の死にまつわる、サスペンスの要素も加わっている。

 ヒロインは親友の死に関わった女、親友の妹、映画制作の仲間、家庭教師先の生徒、未亡人となっている。

 特徴としては、群像劇の色が強くなっており、大きな物語の中で個々の考えにスポットを当てていくという構成になっている。それをより際立たせているのが、今作最大のウリであるリバースカットである。これは視点をヒロイン側に反転させて、過去にどういう行動をしていたのか、何を考えていたのかバラすルートになっている。今までにない新しい試みで、視点移動は普通の文章作法においては禁断の手段であるが、この作品に関して言えば、キャラクターや物語に深みを与えるという点で、完全に機能していた。

 今作はメモリーズオフの顔となっている彩音氏がOP曲とED曲を担当しており、人気の高い曲となっている。また、メインテーマである「screen wiz you」は、メモリーズオフのBGMの中では1番のお気に入りである。

 このように質的にはうまく行った作品なのだが、これ以降大学を舞台とした作品がないことを考えると、売上げを含めた評価は微妙だったのかもしれない。

 とぎれたフィルムはKIDとして最後のナンバリングタイトルとなった。

■メモリーズオフ6 T-wave

 原点(1st)回帰を意識した作品で、初代と同じ澄空学園を舞台としたゲームである。ここから5pb.が開発となった。会社が変わったということで、心機一転したのか、色使いが明るくなり、シリーズ独特の「暗さ」や「重さ」を排除したいという意思が伝わってくるビジュアルになっていた。内容でも、サスペンスやミステリー要素は、極力排除されている。

 今作はかなり気合いが入った作品で、シリーズでは唯一OPアニメーションが存在し、ED曲もヒロインごとに作っている力の入れようである。

 ヒロインは幼なじみ、その親友、生徒会長、生徒会の後輩、稲穂信の姉、となっている。幼なじみのヒロインは、この手のゲームではセオリーだが、メモリーズオフでは初代以来である。

 物語は、幼なじみの親友から告白されるところから始まり、それを巡って登場人物が交錯していく内容となっている。

 メモリーズオフは、概ねメインヒロインが一番人気のようだが、この作品に関しては、サブヒロインの生徒会長がダントツの人気で、メインヒロインが食われ気味という、珍しい現象が起きている。

「2nd」と同じように、何かと力を入れて作っていることは読み取れる作品であるが、この作品も主人公とメインヒロインが理解できなかったので、あまり語ることがない。

 「T-wave」も静かに通り過ぎたい。

■メモリーズオフ ゆびきりの記憶

 「T-wave」から180度方向転換して、以前の傾向に戻った作品である。内容はミステリー&サスペンスで、軽くホラー要素も入っている。舞台は引き続き高校となっており、一人暮らしの主人公の元に謎の女が転がり込んでくるという設定で物語は始まる。他作品との繋がりは薄い。

 ヒロインは幼なじみ、謎の女、先生、バイト先の同僚、後輩となっている。先生がいるのは「2nd」以来である。

 前作の反動なのか、全体的に重い作品で、特にメインシナリオはかなりダークになっている。サブシナリオはそこそこライト(と言ってもメモリーズオフ基準)に遊べるので、バランスは取れているが、それにしてもヘビーである。謎が随所に散りばめられているゲームなので、引き込まれる度合いで言えば、シリーズで1番高い。脚本も秀逸で、エンディングまでノンストップでクリアした作品である。

 グラフィックのクオリティも凄まじく、開発がXbox360に移行したことで解像度が上昇し、キャラクターや背景の美麗さが格段にアップしていた。

 キャラクターのクオリティも高い。この作品のリサというキャラは、名前の呼び方が絶妙に可愛いので、シリーズで1番のお気に入りキャラである。

 当然、楽曲やBGMのクオリティも高く、随所にメモオフらしさが見られる味付けになっていた。ただ、全てのレベルが高すぎて、逆にBGMの印象がいつもより薄かったかもしれない。

 このように、全てにおいてべた褒めの作品であるが、実際メモリーズオフのベスト作品を選ぶ場合、即決でこの作品を挙げる。それくらい完璧な作品だった。今作が出るまでかなり期間が空いていたので、開発期間を長く取れたことがのが一因かもしれない(期間が空いたからと言って開発が長いとも限らないが)。

 今作は様々な機種で発売されているが、最初に発売されたXbox360版のパッケージ絵があまりにも美しかった。これほど引き込まれる絵を見たのは初めてだったかもしれない。

■メモリーズオフ イノサンフィーユ

 発売前から、最終作であると明言された作品である。前作から8年の期間を経て発売されており、半ば新作は諦めていたところへやってきたので、望外の喜びだった。

 舞台は引き続き高校で、主人公が転校してくるところから始まるという、一風変わったものになっている。メインヒロインは、「T-wave」で出演した生徒会長の妹である。元々ファンディスクにチラッと出ていたのだが、よほど人気があったのだろうか。

 内容は前作よりも重くなっており、シリーズで最もダークな内容となっている。主人公のトラウマもかなりハードである。「T-wave」のような面影はどこにも見られないほど、サスペンスとミステリーの方向へ舵を切っていた。季節が冬であることも相まって、晴れやかな気分にはならない。

 とてつもなく待たされたので、こちらの期待も高かったが、全ての面において、それに応えるだけの完成度だった。質で言えば、ゆびきりの記憶にも劣らない。全作通して、トップに近い作品だった。

 ただ、内容が今までとは異なる方向に偏っているため、これはメモリーズオフなのかと、別作品のように感じたことは確かである。「ゆびきりの記憶」ではそこの部分はギリギリのバランスで保たれていたのだが、今作は振り切れて突っ走ってしまっていた。

 プレイ直後は「イノサンフィーユ」と「ゆびきりの記憶」は同等だと考えていたが、その部分を勘案すると、やはりメモリーズオフとしては、「ゆびきりの記憶」の方が最高傑作という認識に変わっている。

 今作は最終作であることから、過去作からヒロインの一部が出演している。シリーズが進む毎に月日が流れているので、昔のキャラクターは大人になっていた。それを見たとき、自分自身の青春の終わりというものを実感させられた。ユーザーもキャラクターも、みんな大人になっていったのだ。この事実は意外なほど胸に刺さっていた。たかがゲームだが、このシリーズは間違いなく自分の青春だった。

 作品が発売された後、ファンイベントとして卒業式なるものが開催された。みんなメモリーズオフという青春から卒業していったのだろう 最後にファンディスクも発売されて、いよいよ全てが終わりとなった。

 と思っていたが、20周年番組でいきなり新作が発表された。最終作じゃなかったのかと言いたいが、世の中そういうものである。

 新作の名前はシンスメモリーズ。一部だけ名前が残っている。

■メモリーズオフの特異性

 恋愛ADVの記事ばかり書いているので、ギャルゲーマニアだと思われているかもしれない(思われてもいい)が、実際のところまともにプレイしたのはKIDと5pb.が開発した作品群と、FOGの作品群だけである。他にもコンシューマに移植された有名作品(Keyの作品等)をプレイしたことはあるが、どれもピンとこなかった。今でも思い出に残っている、語りたくなる作品はKIDと5pb.と久遠の絆だけである。

 中でもメモリーズオフは、意識すれば感じるギリギリの存在感で、いつも心の片隅に居座っているという、不思議な作品である。暴風雨のように心をかき乱し、強制的にその存在感を心に刻み込んでくる、科学ADVやInfinityシリーズとは全く趣が異なっている。

 メモリーズオフと、他の作品との決定的な違いはどこにあるのだろうか。私の中では、メモリーズオフはどんな作品でも代替不可能な存在である。他の会社の作品はもちろん、同社のどんな作品でも代替不可能だ。ということは、この作品に何らかの特異性があるに違いない。それは何なのだろうか。

 改めて考えてみると、次の三つの理由が浮かんでくる。

 ①BGM
 ②ドラマ性
 ③自己犠牲

 ①BGM
 すでに何度も語っているが、これは相当大きい。これが1番大きいと言っていい。ノベルゲーにおいて、BGMの偉大さは、いくら語っても全く語りつくせない。

 阿保氏のBGMについては、今までも語っているが、特にメモリーズオフのときは、明らかに他の作品と異なっている。科学ADVやInfinityシリーズでは、電子音を使うことが多く、シリーズの作風と相まって、ホラーで冷たい曲が肌に押し付けられているようなイメージが想起されるのだが、メモリーズオフでは、繊細で儚げで、冷たく、ほのかに暖かいピアノ曲が、体の内側に浸透してくるようなイメージとなっている。かなり漠然としていてうまく言語化できていないが、この体に染み込んでくる曲の心地よさが、メモリーズオフの特異性の一つである。

 ②ドラマ性
 これは「想い出に変わる君」から顕著に出てきた部分である。ドラマ性という言葉は抽象的だが、具体的に言えばキャラクターありきではない、ということだ。シナリオの比重が重く、かといってキャラクターを蔑ろにしているわけではない絶妙な塩梅を、メモリーズオフから読み取ることができる。

 KID作品の伝統だが、メモリーズオフには、特定のキャラを攻略しないとメインのシナリオに入れない作品が存在する。このようなシステム面から見ても、キャラクターありきではないことが浮き出ている。基本的にはシナリオありきである。さらに言えば、ギャルゲーとしては薄味であることが、ドラマ性を際立たせていると言える。これが濃くなっては駄目で、薄いこと、ひいては現実感(現実ではない。現実感)が、「意識すれば感じるギリギリの存在感で、いつも心の片隅に居座っている」という特異性に繋がっているのである。

 ただし、薄味であることは、キャラクターの弱さにも繋がっており、それがシリーズ全体の押しの弱さを表している。しかしキャラを押し出せば、それはメモリーズオフとは(少なくとも自分の中では)言い難いので、難しいところである。

 ③自己犠牲
 人は何に感動するだろうか。いや、私は何に感動するのだろうか。そう考えたとき、「自己犠牲」のストーリーに思い入れがあることに気づいた。これはメモリーズオフだけの特異性ではなく、KIDや5pb.の名作に共通するテーマである。「誰かのために」ということが、物語にとって重要なのだ。

 テーマの濃度や、主語が誰であるかは、作品によって異なるが、1stからその萌芽は見られる。誰にも知られず、報われることも期待しない、純粋な自己犠牲に心を打たれるという、己の特性が、この記事を書いたことで改めてわかった。私にとって、メモリーズオフのテーマは、修羅場でも三角関係でも泥沼の恋愛でもトラウマでもなかったのだ。これは「自己犠牲」の物語なのである。

■ベスト3

 BGM、ドラマ性、自己犠牲という三つの基準に、「メインシナリオ」のみを評価するという条件を加えて、シリーズのベスト3を考えてみたい。メインシナリオのみを評価する理由は、それが作品を貫く柱だからである。

 この基準にそってランキングをつけると次の通りになる。

 1位 ゆびきりの記憶
 2位 イノサンフィーユ
 3位 それから

 1位はノータイムで「ゆびきりの記憶」である。この作品は決定的に他と異なっている。メモリーズオフという枠組みを維持したまま、「ゆびきり」を超える作品は不可能であるとすら思える。シュタインズゲートの記事で、歴史の終着点という言葉を出しているが、それに近かった。

 2位は「イノサンフィーユ」である。1位との差は、「メモオフらしさ」があるかないかだけである。この作品はメモリーズオフの向こう側へ飛び越えていってしまった。終着駅の先に道はなかったらしい。

 3位はそれからである。何かしらの失敗を経て、原点回帰を演出する作品は数多い。しかし原点を超えた作品は少ない。そういう意味で、「それから」は最高の作品だった。

 ちなみに、この順番がおすすめの順番というわけでは、全くない。仮にどれかを勧めるとした場合、「イノサンフィーユ」か「T-wave」を勧める。昔の作品でもよければ、「2nd」か「それから」を勧める。

 重ねて言うが、このランキングは独自の三つの基準にそって付けたものである。客観性も一般性も存在しない。他に、何かしらの基準を設定したランキングを考えている、シリーズのファンの方がいらっしゃるならば、ぜひそれをお聞かせ願いたい。私はユーザーと交流がないので、各々どんな基準をお持ちであるのか、非常に興味がある。

 個人的ランキングはともかく、シリーズ全体を考えれば、作品の完成度は右肩上がりである。特にPS3世代になってからは、さらに進化が顕著になった。ここから20年後はどうなっているのだろうか。想像もできない。

■終わりに

 メモリーズオフはなぜ作り続けられるのだろうか。なぜ作り続けるのだろうか。たまに考えることがある。ギャルゲーのシリーズは数多く存在したが、未だに生き残っているものは少ない。家庭用のギャルゲーという括りで明確に生き残っているのは、「メモリーズオフ」くらいかもしれない。

 しかし、20年もシリーズを続けるほど、知名度や売り上げがあるのだろうか。超有名なギャルゲーの作品群、たとえば「アマガミ」や、「ときメモ」に比べると、知名度や売上は低い。長く続いているタイトルではあるが、ギャルゲーに興味を持っている人間でも、プレイしたことがない人の方が多いはずだ。あったとしても1作か2作で、シリーズ全作をプレイした人間など、いくらもいないはずである。しかし、それら有名作品群を差し置いて、未だに生き残っている。

 採算がとれているのか。それとも他の動機があるのか。

 海の向こうでも一部発売されているようなので、想像以上に売れているのかもしれない。あるいは、開発費が安いので採算ラインを大幅に超えているのかもしれない。推測ばかりだが、この辺りの諸事情を知るのは開発スタッフだけである。結局のところ、端から見ても何もわからない。

 真実を知るには、開発スタッフの声を聞けばよいのだろうか。私はそう思わない。よそ行きの言葉に、どれほど真実が含まれているのかわからないからだ。真実を知ることは難しい。難しいというか、外野には不可能だ。

 我々に提示される真実はゲームのみである。

 だから私は、記事を書くときに、ゲーム本編以外を参考資料にすることはほとんどない。ゲーム以外の情報は、開発スタッフのインタビューであったとしても、ただ信じるか信じないか、その観点しかありえないからだ。

 しかし、そういう意味では、私は、メモリーズオフ10周年のファンブックで、志倉千代丸氏が語っていた言葉は〈信じられる〉と思っている。

 氏は本の中で次のことを語っていた。

 版権価値の大小、売上の大小、イベント動員の大小、コミュニティの大小、もちろんこれらも重要なファクターではありますが、『メモリーズオフ』というコンテンツはもはや僕の中で、その価値観を超えた存在になっています。

(メモリーズオフ クロニクル)

 なぜこのような言葉が出てくるのか。きっとそれは、この作品が志倉氏にとって、ひいては彼らにとって「はじまりの場所」だからではないだろうか。ここは全てが生まれ、今へと続いて来た、最初の場所である。人間にとって、生まれ故郷がほとんど無条件に価値を持つように、メモリーズオフも無条件に価値を持つ存在となっているに違いない。

 私にとっても、このシリーズはある種の「はじまりの場所」であり、単なるゲームを超えた存在となっている。ゲーマーとして、そのような作品に出会ったことは、何者にも代えがたい幸運だった。

 色々と作品の評価を述べ、ランキングもつけてきたわけであるが、実際のところ、私にとってメモリーズオフは、傑作も駄作も関係ない。どの作品であれ、存在するだけで至上の価値があるからだ。タイトル画面でメインテーマを聞いた瞬間に、全ての時間が宝石に変わる。それだけでいい。あの世界に浸れる。それだけでいい。

 イノサンフィーユは名作だった。しかしメモリーズオフではなかった。もうあの頃のままではいられない。名前すら決別してしまった新作のシンスメモリーズ。まだプレイしていないが、なおさらメモリーズオフではないのかもしれない。

 でも、それでも構わない。

 いつまでも、どんな形でも続いてほしい。

 掛け値なしにそう思える。

 ゲームが自分の一部となった、はじまりの場所。

 メモリーズオフはそんな作品である。

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