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ナラタージュ/夫に捧げるラブレター
2年前の秋、1人でベッドに横になりながらテレビを眺めていた。
ふと、流れていた映画の宣伝が目に止まった。
「あなたの1番好きだった人は誰ですか」
そのフレーズを聞いて、私は自然と携帯に手が伸びていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あれは高校3年生の秋だった。
私はスポーツ推薦でスポーツの強豪校に入学をした。
入学から引退まで、とにかく部活漬けだった。
朝から練習。
授業が終わったら練習。
休みの日は遠征。
全国大会では上位。
そして男女交際は禁止。
それを望んでこの高校を選んだ。
でも、2年半以上そんな生活を続けて、疲れ果てていた。
スポーツ強豪校とは言え、偏差値は普通程度。
普通科にはギャルが溢れていた。
締め付けられた毎日を送っていた私は、自由な彼女たちにどこか憧れていた。
引退の日以降、私はたかが外れたようにこれまでの自分ではなくなっていた。
夏が終わろうとしているある日、体育の授業中、体育館の隅の方で真面目に授業も受けずにクラスメイトと話し込んでいた。
そんな時、指定のジャージではない若い男性2人が体育館を横切った。
一目見た時、私は1人の人に目を奪われた。
恥ずかしくて凝視できないと思いながらもずっと目で追ってしまう。
初めての感覚だった。
話し込んでいたクラスメイトはその人に挨拶をした。
2人組が去った後、すかさずそのクラスメイトに誰なのかを聞いた。
その子がマネージャーをしている部活に来ている教育実習生だと知った。
それ以上は聞かなかった。
その頃私はやっと部活を引退し、内緒で付き合っていた彼氏と大手を振って外で会えるようになっていた。
2年以上の付き合いだった彼は1つ上の先輩で、私が引退した時には既に卒業をして専門学校に通っていた。
彼は毎日のように大きな車で送り迎えをしてくれて、私にブランド品を買い与えてくれていた。
私と彼は同級生の間ではみんな知っているほど公認の仲だった。
それだけ尽くしてくれている彼がいる私は、この気持ちがなんなのか気が付きながらも、何も行動に起こす事は出来ないとわかっていた。
部活をしている間は彼の家で隠れて会う事しかできなかったから、引退して彼は本当に喜んでくれて、色々なところに連れて行ってくれた。
ずっと部活ばかりだった私は新しい世界が楽しかった。
彼との付き合いになんの不満もなかった。
彼の親も私に良くしてくれていた。
会わない日はほとんどなかった。
こんなに深く付き合った事がこれまでなかった私は、このままこの人と結婚するんだろうなと思っていた。
そのまま、時は過ぎていった。
そして秋になり、文化祭の日が来た。
文化祭の前日に、教育実習の期間が終わった事は知っていた。
あの日以降、例の実習生を目にする事はなかった。
すごく残念な気持ちになっていた。
もう見かける事もできないんだな、、 そう思うと悲しくなった。
でも私にはこんなに想ってくれる彼氏がいるんだから、これで良かったんだと言い聞かせた。
そもそも、話もした事もない人なんだし、どうにもならなかったんだ、そのうち忘れるはず、と。
そして文化祭では何もしたくなかったから、親友と受付に立候補した。
当日、教室の前でクラスの出し物に興味があるという人を案内したり、卒業まで残りわずかとなっていたので、友達同士で写真を撮ったりしていた。
そんな時、遠くからクラスの男子が私服の男の人と現れた。
心臓の音が大きくなった。
「あの人だ!!」
すぐにわかった。
ジャージ姿を一度しか見かけたことがなかったが、間違いない、あの人だとすぐにわかった。
同じ人と付き合って長かった私は、積極的に「友人として」以外で異性に話しかけるという事はなかった。
でもその時、この人の前では私ではなくなったようだった。
「先生ですよね!?」
自分でも目を疑うくらいだった。
このチャンスを絶対に逃しちゃいけないと、どこかでそう思っていた。
この人がどこかへ行かないように、もっと話をしてくれるように、一生懸命だった。
初めて聞くあの人の声、話し方。
夢中だった。
「連絡先教えて下さい!」
きっと一緒にいた親友が1番驚いていたと思う。
彼女は、私が彼氏の事を大好きで、彼氏に別の彼女がいた時から相談をしていて、無事付き合うまでを見守って、付き合ってからは良く一緒にカップル同士でデートをしていたからだ。
他に目移りをした事のない私の行動は普通ではなかった。
無事連絡先を聞き、フルマラソンを走り切った気がした。
その後の事はほとんど覚えていない。
その日、私はあの人にメールをした。
返ってくる度に自分の心臓の音が聞こえ、手が震えた。
他愛のないやり取りの間にも、彼女がいないかなどを聞いた。
そして数日後、あの人の家に遊びに行くことになった。
あの人の家までは電車で2時間近くかかった。
部活ばかりしてきた私は行ったことも聞いたこともないところだった。
向かってる間、ずっと緊張していた。
遠いと思わなかった。
あの人の家で、スキューバダイビングの写真を見せてもらった。
一人暮らしで、キレイな海を知っているあの人は別世界のような人に見えた。
その日、私はあなたに夢中ですと伝えた。
自然に伝えてしまっていた。
駅に迎えに来てくれてからは本当に心臓が破裂してしまうんではないかと思うほど苦しかった。
夢でも見ているんじゃないかとずっと思っていた。
朝、新聞配達をしてから朝4時半に私の家に迎えに来て、私の自転車を車に積んで、バイト先まで送ってくれて、その後に専門学校へ行き、帰ったら家業を手伝って私にお金も時間も労力も使ってくれ続けた彼をこんなにも簡単に裏切るなんて自分でも信じられなかった。
でも私はあの人の事しか考えられなくなっていた。
あの人は私の告白に、彼女になってと言ってくれた。
彼ともうまくいっていたけれど、私はあの人と一緒にいられるならどんな犠牲もなんとも思わなかった。
あの人に正直に言った。
「実は彼氏がいるの。ちゃんと別れるから、付き合って欲しい。」
あの人は了承してくれた。
きちんと別れて、ちゃんと付き合おう。と言ってくれた。
信じられなかった。
私はあの人を手に入れて、そして手放さない為なら何でもすると思った。
でも、二股なんて事は毛頭考えていなかった。
帰宅後、すぐに彼に連絡をした。
「好きな人ができてしまったから、別れて欲しい。」と。
こんなに私に尽くしてくれていた彼とはきちんと話して納得して別れたいと思った。
私はまだこの頃若くて、愛情は深ければ深いほど憎悪に変わるという事を知らなかった。
連絡をした後、彼が家に来て話をした。
最初は信じられなかったようだったが、泣いて別れたくないと言い、それでも決意が固いと伝えると、わかったと言ってくれた。
私は気持ちが晴れやかになった。
これであの人とちゃんと付き合える!
それしか考えられなかった。
すぐにあの人に別れられたよ、と連絡をした。
それからというもの、私は時間を見つけてはあの人と過ごす時間を作った。
あの人とのデートは本当に楽しかった。
あの人は知らない音楽を教えてくれた。
あの人が使っていたマフラーを、制服の時にするといいよとくれて、毎日使った。
あの人は行ったことのない所へ連れて行ってくれた。
元彼の嫌っていたタバコを、あの人が吸うタバコだからと、躊躇なく吸った。
大切な指輪だから、お前に付けて欲しいと言って指輪をくれた。
知り合いのバーに連れて行ってくれた時は「ずいぶんと若い彼女連れて」とからかわれるあの人に、こんな私で恥ずかしくないだろうかと申し訳なく思いながらも、紹介してくれたことがすごく嬉しかった。
あの人に会うのが楽しみで、毎日本当に楽しかった。
そんな毎日を送っていたが、元彼はストーカー化していた。
毎日のように家の前で待ち、罵声を浴びせられた。
今までやった分を返せと言われた。
返せるものは全て返すと言ってもいらないと言われた。
金を返せと高校生の私に多額のお金を要求するメールが幾度となくきた。
どうしていいかわからなかった。
あの人との楽しい時間が過ぎると元彼との問題を解決せねばと頭を抱えていた。
そんな事を数週間繰り返していた時、また元彼から連絡が来た。
「もう一度ちゃんと話をしたい。」
私の責任だと思った。
会う事にした。
あの人には心配をかけまいと、話さなかった。
「とりあえず車で話そう。」
言われるがままに元彼の車に入ると怒鳴られて、殴られた。
泣き叫んで謝っても、止めることはなかった。
でもあの人と別れるつもりは一切なかった。
何度か殴られたあと、倒れ込んだ私の頭の下には金属があった。
頭から血が溢れてきた。
そこからは意識が遠のいて、記憶がなくなった。
気が付くと、元彼とは夜に会ったはずなのに外は明るくて、私は元彼の部屋で横になっていた。
「本当にごめん、こんな事をするつもりじゃなかったんだ。」
元彼の事が怖いという感覚よりも、私が悪いのだから、当然の報いなんだろうという気持ちでいた。
「もう、別れる事を受け入れる、本当にごめん。」と彼は言った。
私は怪我をした事や彼の狂気に怯えながらも、これで本当にちゃんと別れられたんだ!と、嬉しくなった。
とりあえず病院に行こうという彼に従う事にした。
その前に一晩連絡を入れなかった、あの人と親に連絡をしなくてはと携帯を探した。
案の定沢山のメールや着信があった。
慌ててメールを見ると、あの人から「お前の気持ちはわかった。悪いけど、あの指輪だけは本当に大切なものだから返して欲しい。」
と書いてあった。
理解ができなかった。
送信メールを見ても何も送っていない。
元彼を問いただしても知らないという。
急いであの人に電話をした。
「どういう事!?」
「お前から、元彼が忘れられないから、付き合い直す事にした。別れて欲しいってメールが来たから。」
犯人は明らかだったが、事情を説明し、もう元彼に話す事はしなかった。
「そういう事ならわかったよ、とりあえず落ち着いたらまたすぐに会って話そう。」
と言い、一安心した。
病院へ行き、頭を縫い、包帯を巻いて家に帰った。
親は本当に心配し、どうしたのか聞いてきたが、一連の事を親に何も言えずにいた私はどう答えていいかわからず
「ぼーっとしてたら電柱に頭を打って切ってしまった。」
と答えた。
そんなわけないでしょうという親の声を聞きながら自分の部屋にこもった。
元彼からは、前みたいに友達に戻ろう。とこれまでとはまるで違う人のような連絡が来た。
私はこれも私が取るべき責任だと感じ、彼のいう通りにした。
あの人とは晴れて何も後ろめたさを抱える事なく付き合えることとなった。
私はそれが嬉しかった。
数日後、あの人とファミレスで食事をしている時に元彼からメールが来た。
「今どこにいるの?」
絵文字付きで、本当に友達からくるメールと変わらなかった。
あの人と食事をしている事を告げると、
「俺、そこにいるんだよね」
と返信が来た。
恐怖を感じたのも束の間、私達のところへ来ると、あの人と2人で話がしたいと言ってきた。
嫌だと言うと、あの人は私に帰るように言った。
また、連絡するから、と。
私はその場を去る事にした。
その後、あの人から来た連絡は
「俺はあいつ以上にお前の事を想えていない。別れよう。」
私の気持ちはもう届かなかった。
私の行動全てに後悔をしても、もう遅かった。
なんで元彼を切らなかったんだろう。
なんであの時メールを返してしまったんだろう。
何を思っても、もう戻れなかった。
それからというもの、学校にはあまり行かなくなった。
学校に行っても、ずっと泣いていて周りが心配をするから、登校した時には教室のベランダでずっと泣いていた。
食事も一切摂れず、みるみる痩せていく私をみんな心配していた。
そして元彼からまた金銭の請求などのメールが届くようになった。
もう、私の力ではどうにもならないと思い、親に相談をした。
本当に心配していたのよ、頭の傷も彼でしょう。あちらの親御さんに連絡をしたら、過去にもあったみたいだから。ただ、あなたが好きになった人だから、警察沙汰にはしたくない。あちらの親御さんに諫めてもらってもなお続くようであれば親戚のいるアメリカへ行きなさい。こういう事は当人同士では絶対に解決しないのよ。
これまで悩んでいた事が嘘のように収束した。
もう彼から連絡が来る事はなくなった。
でも、あの人からの連絡も来る事はなくなった。
たまに元彼が私のバイト先に来ていたが、追い払ってもらっていた。
その後、私は大学生になった。
時間が少しずつ傷を癒してくれていった。
食事も摂れるようになり、友達と楽しく過ごせるようになっていた。
ただ、あの人の事を思い出さない日はなかった。
ひと月も経たないうちに別れる事になった。
これから沢山思い出を作って、色々なところに行って、沢山話をして、沢山笑い合いたかった。
でも、もう連絡はできなかった。
あんなに迷惑を掛けてしまった。
私のせいで嫌な思いをさせてしまった。
それでも私は連絡先を消す事ができなかった。
ある日、友達と飲んだ後に、何気なく携帯をいじっていたら、あの人の連絡先がふと目についた。
あれから2年以上経っていた。
もう連絡つかないだろうし、と酔った勢いでメールを入れた。
しばらくして、返信があった。
本当にびっくりして、呼吸をするのを忘れて連絡を取り合った。
久しぶりに食事をしようかという流れになり、待ち合わせる事になった。
食事をし、送るよと言うあの人の車に乗って少しドライブをした。
あの人の口から「結婚する事にしたんだ」という言葉が出てきた。
絶望と同時に、何故かそんな気がしていた自分もいた。
相手は私の知っている人だった。
彼と出会ってすぐに、昔私の部活の先輩と付き合っていた事を聞いていた。
その人との結婚を決めたと言うのだ。
何故か、ああ、やっぱりな。と思った。
苦しくて苦しくて仕方がなかった。
でも、知っている人の旦那に手を出す事はできないと、この日を最後に連絡先を消した。
新しい恋をしなくっちゃ、と言わんばかりに、それからの私は合コンばかりしていた。
色々な人と付き合って、遊びまくっていた。
大学を卒業し、就職し、その間も常に何人もの男の人とデートを重ねた。
あの人を見かけた最初の時のような感覚には一度もならなかった。
あの人と少しでも会話をしたいと思うような、あの人にストレートにぶつかろうと思うような、そんな気持ちにはならなかった。
どうしたら男ウケがするかとか、思わせぶる方法ばかりを身につけていった。
小さな恋は沢山した。
沢山口説いてもらったし、沢山振られてきた。
沢山デートもしたし、沢山怖い思いも、いい思いもさせてもらってきた。
欲しいもの全てあげると言ってくれた人も、私にお店を持たせてあげると言ってくれた人も、私のためにジュエリーを作ってくれた人も結局満たされなかった。
ただ1人、この人が路頭に迷ったら私が面倒をみてやると思った人がいた。
こんな気持ちは初めてだと思った。
あの人に抱いた気持ちとは少し違っていた。
その人と出会ったのは、あの人の連絡先を消してから5年後だった。
でも、結局その人に全てを捧げる事が出来ずに、別れを選んだ。
この人と一緒にいると、私がダメになると感じた。
ダメになったとしても一緒にいたいとは思えなかった。
そんな人との恋愛が終わった後に思い出すのはあの人だった。
今どうしてるだろうか、叶わないとわかっているけど、死ぬまでにひと目だけ会いたい。
何度も思った。
そんな事をしたらあの人の奥さんも、その周りの人達からも許されないとわかっていたから、その気持ちはずっと押し殺してきた。
もう終わった、若い頃の甘酸っぱい恋愛、誰にでもある、忘れられない恋愛だ、と。
その後私は、道端で「俺、お前のことが本当に本当に大好きなんだよね!」と愛を叫ぶ人と長く付き合った。
穏やかな恋愛で、夢中になる事はなかったけど、愛されている安心感とか、安定感が心地良くて、きっとこのままだとこの人と結婚するんだろうなと思っていた。
幸せだった。
でも、心のどこかで「このままだとこの人と結婚する事になってしまう」とも思っていた。
別れるためにはどうすべきかとも、考えていたかもしれない。
私は勉強のためにニューヨークへ行き、物理的距離を取っている、その間に彼とは別れた。
帰国後も、寂しい時に呼べる男性を常に20〜30人はキープする生活を続けていた。
誰かと付き合うなんて面倒だと思っていた。
なんとなく好きだよと言える相手と、好きだと言ってくれる相手がいて、責任の要らない関係が楽だった。
そんな生活を数年続けていたら、もう30歳をゆうに越えていた。
この生活は嫌いじゃないけど、やめなければならないリミットが近付いていた。
出産だ。
私は親に平均よりも迷惑を掛けてきた自覚がある。
それと、私しか親に孫を見せてあげられない責任感があった。
気持ちだけ焦っていた。
親の寿命がわかっていて、女の出産リミットがなければ別に焦らなかったが、そうは言ってられないと、いい加減彼氏を作ろうと思い出していた。
でも、友達に「今日こそあいつと付き合ってくる!」と息巻いてデートに行くものの「やっぱりだめだ、、手を握られないように、デート中ずっと一人で腕組んで歩いてたよ、、」「気が付いた。条件はいいかもしれない、でもやっぱり生理的に無理だ!」との報告が続いた。
それを肴に飲んでる私も結局楽しかった。
婚活パーティとやらにも何度か行ってみた。
恋愛と結婚を切り離して考えられない自分がいる事に気が付いていた。
そんな時に1人、なんとなく一緒にいて長くなるなという人との付き合いを少し考えていた。
彼は私を大切にしてくれていた。
頻繁にデートに誘ってくれた。
仕事の合間の少しの時間でも会おうと言い、お茶だけして帰る、そんな距離の詰め方も、もどかしくて嬉しかった。
ジャンルの違う音楽を聴く彼と一緒に行くクラブも楽しかった。
そんな彼は、顔も背格好もあの人に似ていた。
そのころ私は友人に「私、結局あの人だったんだなぁってつくづく思うんだよね。」という事が増えていた。
あの人の結婚後、奥さんといるところを見かけたという友人に、どうにかしてひと目会いたいんだよね。と交渉がてらボヤいたりもしていた。
そんな時、1人の友人が
「SNSで探そうよ!」
と言った。
酔っ払ってる30も過ぎた女達はキャッキャ言いながら
「この人っぽいっちゃーぽいかも!あーでも顔わかんなーい!」
「とりあえずメッセージ送ってみなよ!」
「やだやだむりむり!!緊張するー!あー、送っちゃったー!」
なんて事をしていたが、その送った相手から返事が来る事はなかった。
既読も付かず、どうやらSNS上で友達じゃないと、メッセージも確認出来ないらしいよーと友人が言い、あーもう本当に一生会う事はないんだろうな。
なんて、どこかで淡い期待をした自分をバカだと思った。
そして、彼氏を作りたいけど自由で居たい、でも花嫁姿と孫を親に見せたいという色々な思いを抱えたまま、悶々とした毎日を過ごしていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ある日1人で部屋でぼんやりしていた時に、映画のCMで松本潤君が「あなたの1番好きだった人は誰ですか?」と問いかけ、有村架純ちゃんは「わたしには、あなたでした」と言った。
それを聞いた私は自然と携帯に手が伸びていた。
気が付いたらあの人の名前を検索していた。
数ヶ月前にした事と、同じ動作を繰り返した。
いた。
信じられなかった。
名前を打ち込んだ手が震えた。
この人だ。
間違いない。
数ヶ月前には居なかった。
でも、間違えるはずはない、忘れるはずもない、この人だ。
もう2度と見つからないかもしれないと、急いでメッセージを送った。
「私だよ、覚えてる?」
返事が来なくても仕方がない、ダメ元で送った。
気にしすぎると心臓がもたないと思い、送信後はいったん携帯を離れた場所に置いた。
しばらくして、携帯が鳴った。
違う人からの連絡かもしれないし、鳴ってないかもしれないし、もしあの人からだとしてもすぐに既読を付けるのも・・・なんていろいろと考えたものの、すぐに確認した。
あの人からの返信だった。
1人で緊張した。
「覚えてるよ、久しぶりだね」
嬉しかった。
16年前に付き合って、好きで好きでたまらなかったのに別れなければならなくなったあの人が、壊れるほどに夢中になったあの人が、もう2度と交わることのない人生を続けると思っていたあの人が、14年間もう関わってはならないと思って絶ったあの人からの返信が本当に嬉しかった。
少しやり取りをして、今度食事に行こうという話になった。
そして、ほどなくしてあの人が離婚していた事を知った。
我慢できなかった。
あの時の恋愛の続きをしないと、私は前に進めないと思った。
ここ何年も、誰にも言えなかった「私をあなたの彼女にして下さい」という言葉を迷いもなく、ストレートに言えた。
言わずにいれなかった。
久々に会うあの人は、私が夢中になっていた頃の見た目とは様変わりしていたけれど、私にはそんな事関係なかった。
私にはこの人なんだと揺るぎない気持ちで言えた。
そして私達は再会してしばらくして、付き合う事になった。
再会して2年半が経つ。
私は今、あの人の生き写しのような女の子を焦がれたあの人と育てている。
あれだけ遊び呆けてきて、一度も妊娠に縁のなかった私が、あの人と再会して半年が過ぎた辺りで授かった。
恋愛と生活はイコールになりずらい。
言いたくない事も、家族のためならばと言わなければならない時もある。
恋愛ならば言わなくて済むことでも。
私はあの人と家族になる事を選んだ。
あの人もそれを望んでくれていた。
だから、私はあの人を精一杯幸せにしたいと思う。
きっと私はあの人じゃなければ結婚はできなかったと思うし、子供も授かれなかったんじゃないかと思う。
神様とか気功とか、目に見えないものは全く信じない私も、あの人との運命だけは信じている。
再会してから、結婚した後も本当に苦しくて辛い事だらけだった。
相手があの人じゃなければとうに投げ出していた。
でも、どんな見た目になろうと、どんな人生を歩んで来てたとしても、私は添い遂げたいと思う。
奇しくも、松本潤君と有村架純ちゃんのナラタージュという映画は高校教師と生徒の設定らしい。
少し私達とは違うけど、あの予告を観なければきっとあの人と再会する事も、最愛の娘を授かることもなかったと思う。
今度の休みに観てみようかな。
だって、わたしの1番好きだった相手は主人だし、あの頃の私は主人が好きで好きでたまらなくて、本当に壊れてしまいそうだった。
映画のコピーがすんなり入ってきた。
わたしにとっては、この人でした。
わたしは、身を焦がすほどの恋を死ぬまでこの人にし続けるんだと思う。
私に何かあって、主人より先に他界した時に、このラブレターを私の携帯の履歴から目にして、自分に自信のない彼が、私の人生全てをかけて愛してた事を知って、自分にそれだけの価値があると思ってくれたらいいなと思って書き記します。
あなたをひと目みたあの日から、私はずっとあなたに恋をし続けています。
ずっとあなただけを愛しています。
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