【復刻版】放射能汚染・5年目のチェルノブイリ 【8回 チェルノブイリで見た光景・まとめ】
【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1990年に取材。同年10月から12月に集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。※当時の「白ロシア」は「ベラルーシ」と表記しました。
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●チェルノブイリの現場を知るため、私たちは35日、ソ連の国々を見てまわった。今回で、連載を終えるにあたり、目撃者として現場の様子を振り返りたい。そのとき、私たちは何を思ったかのか、どのような行動をとったのかを伝える。チェルノブイリ原発事故による影響、それは破滅の始まりだった。
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『カタストロフ』の現場へ
『チェルノブイリによるカタストロフ』、86年4月に起こった今世紀最大の核惨事、チェルノブイリ原発事故と事故後の人々への影響を指して、現地の報道では『カタストロフ』(破滅、大惨事、悲劇的な結末)という言葉を使うようになった。
これは、事故のあったチェルノブイリ原発4号炉を形容しているのではなく、事故によって打撃を受けた市民生活や、人間が管理していたはずの核が暴走して放射能汚染という結果を生じて、手をこまねいている状態を示している。それは、人々が核に対して負けてしまったことを認める言葉なのだろう。
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