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邦楽評論 椎名林檎
本当にしょうもないことなんですが、俺はこういう歌詞の曲がとても好きです。
後ろから「早く行け」と急かされながら前に踏み出してる前の人が「押すな」と言わんばかり振り向きざまこっちを睨んでる
【高橋優『陽はまた登る』より抜粋】
満員電車の中の出来事のような、それでいて都会のどこででも起こりうるような情景。
都会の喧騒に疲れた者も多いのではないでしょうか。
そんな都会の喧騒を、都会の狂気を、歌い上げて世界を謳歌する術を教えてくれる楽曲を提供するアーティストがいます。
椎名林檎です。
酸素と海とガソリンと沢山の気遣いを浪費している生活のため働いて僕は都会(まち)を平らげる左に笑うあなたの頬の仕組みが乱れないように追い風よさあ吹いてくれよ背後はもう思い出向かい風まで吸い込めたらやっと新しくなる
東京事変『私生活』より抜粋
都会の日常を、「酸素と海とガソリンと沢山の気遣いを浪費している」と表現する世界観。
明日に進む1日を「背後はもう思い出」と表現する価値観。
そしてこの曲に「私生活」という題名を付ける感性。
そのどれもが天才的であり、そしてこの時代だからこそ響く感性だと思います。
幼い頃から耳を澄ませば、ほんとうに小さな音も聴こえて来た。遠い雲が雨を手放す間に、木々の笑う声。時と言う時はそう音楽になり、欲しいものなどなかった。どれほど強く望もうとも、どれほど深く祈ろうとも、もう聴こえない。あなたの命を聴き取るため、代わりに失ったわたしのあの素晴らしき世界。「GOODBYE!」
椎名林檎『ありきたりな女』より抜粋
松任谷由実「やさしさに包まれたなら」と似た歌詞ですが、椎名林檎の方が「当たり前」を歌い、松任谷由実は「奇跡」として歌い上げたことを考えると、昔は奇跡として受け入れられたことが、今は「当たり前」になっているのかもしれないと考えられます。
そしてたしかに、今にあっているのは「椎名林檎」の方なのでしょう。
「あなたの命を聴き取るため、代わりに失ったわたしのあの素晴らしき世界」。都会で喧騒の中に生きるからこそわかる、失ったものの大切さ。その素晴らしさ。そしてそれを、「ありきたり」と表現されて納得してしまう感覚。その全てが完璧です。
汚れてしまった恥じらいを今日受け止めて添いたい私は何度堕ちたとして生きることを選んだんだって雲すらとうに逃げた後の秋ヶ瀬公園は私の全く知らない様な刺々しい冬を唄う心と云う毎日聞いているものの所在だって私は全く知らない儘大人になってしまったんだ
東京事変『心』より抜粋
「どうして大人になってしまったんだろう」と歌う歌は昔からたくさんあり、そしてそのどれもが最高だった。武田鉄矢作詞「少年期」は未だに涙無しには聴くことができない。
ああ僕はどうして大人になるんだろうああ僕はいつごろ大人になるんだろう
武田鉄矢 『少年期』より抜粋
それでも、「心がどこにあるのか知らないままでここまで来てしまった」と嘆く楽曲はこの曲ぐらいのものだろう。
世界は回る。都会は明日がくる。何も知らないままでも、何も考えなくても、大切なものを置き去りにしたとしても。それに耐えられず、今日も都会では人が死ぬ。それでも生きていく。誰も正しくなくとも、誰にもわからなくても。
都会を歌うアーティストは増えています。都会の闇と、狂気と、そしてそれがなんでもない当たり前のこととして受け入れられていく。そんな世界を、多くのアーティストが歌う。
それでも、椎名林檎の世界は、特別飛び切り美しいと思います。