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おじちゃんじゃなくて、おにいちゃんと呼べ


2020年3月12日。夜。

都庁前の煌々とした明かりの下、対照的なまでに暗い道沿いでぼくらは待ち合わせていた。

春が近いとは思えない肌寒さに手先を冷たくしながら、檸檬堂の缶をあおる。

待っているのは、新卒で入った会社の同期たちだ――――。


ぼくが新卒で入った会社は同期が300人以上いたのだが、内定時期は様々で大学3年の冬から内定してるものもいれば、入社直前の1週間前に内定しているものもいた。

早くから内定して頻繁に会社のイベントに呼ばれていたメンバーは付き合いが長くなるし、仲良くもなる。
しかも大きい会社となれば関東や関西でそれぞれで飲み会が開催されているのだ。

ぼくも早くから内定を持っていたことと、関西内定だったため関西の同期とは仲が良く、結局社会人になってから一番よく話すのはずっとこの同期たちになった。

その中でも、頻繁に会う3人がいて、そのうち1人とは一緒に住んでいた時期すらある。

ただ、それほど仲が良くてもぼくたちはあまり未来のことを語ったり、熱い仕事論を話したりすることはほとんどなく、ぼくが何回も仕事を変えようと、誰かが大失恋をしようとお構いなしでいつだって4人でテーブルを囲い、雀牌を放っていた。

会話の中身なんて寝て起きたら何にも覚えていないほど大したものはなかったが、ぼくらにとってその時間は、社会人生活で唯一本当に自由な時間だった。

どこかで、この時間が永遠じゃないことを理解しつつ、またどこかで、この年取ってクソジジイになるまでこんな時間が続けば良いと願っていた。

例えば、高円寺の汚い雑居ビルの二階で「チンイツ・イッツー」と宣言する煙まみれの爺さんのように。

それでも、内定当時から同期内で付き合っていた1人が自然な流れで結婚し、その後まもなく転職で関西へと帰ったことで、その生活は終わりを告げた。

毎月集まれていたのが、数ヶ月に一度しか集まれなくなり、そいつの結婚式の後、ぼくらが昼まで大阪で三麻をしていたのは、どこかでその空席が埋まることを期待していたからだ。

結婚式からほどなくして、奥さんの妊娠がわかった。
これからますますこの集まりが出来なくなることは容易に想像がつき、それは幸福なこととであり、寂しいことだった。

ぼくたちは揃ってバカ野郎と呼ばれる人種で、簡単にお金を使い果たし、社会人三年間ずっと貧乏だった。

貧乏で、多分、幸福だった――――。


檸檬堂がカラになり、二本目に口をつける。

わざわざこんなクソ寒いところで待っているのは、金を返してもらうためだ。

ぼくらみたいな貧乏同士でのお金の貸し借りはよくあることで、なんとなくそれは手渡しでやりとりされていた。
振り込みがめんどくさいなどの怠惰な理由も半分くらいあっただろうが、せっかくだし顔も見ておくかという気持ちもどこかにあったのは間違いない。

外で待っていると、もう1人東京に残っているやつも合流し、3人揃ったところでチューハイ片手にゲラゲラと笑いながら近況報告をする。

全員が新宿から歩ける距離に住んでいたぼくらは、都庁前の暗がりを通り、夜の新宿の独特な臭さを感じながら、珍しく仕事の話で盛り上がったりした。

ひとしきりバカ話で盛り上がったあと、1人が「そういやおれ、結婚するわ」となんでもないような自然なトーンで言った。

そして続けて「あと、子ども出来て」と、これもなんでもないような。まるで近くにコンビニが出来たことでも言うように話した。

最初に結婚したやつの子が9月予定で、そいつの子どもが11月予定。なんだ、帰ってきたお金、全部お前らの出産祝いでなくなるじゃん。

残ったもう1人も関西に異動が決まっており、きっともうこうして新宿の夜を歩くのも一回か二回か、その程度だろう。

結婚報告をしたやつが、嫁(予定)のもとへ帰るのを見届けてから、残った2人で西新宿五丁目の裏をふらふらっと帰る。

ぼくはもういい加減結婚とか諦めモードになっているのだが、そいつは諦めてなく、関西に帰ることを機に地元の女の子に頻繁に連絡をとっているらしい。たぶん、上手くいくんだと思う。

またとりとめもない話をする中で、ふとそいつが「おれ、お前の結婚式はマジで泣くと思う」とぽつりと言った。

突然のことで、予定も可能性も考えてなかったからか、特に何の反応も出来ず「まぁ、あいつらの子どもとか見たらおれも泣いちゃうかもな」と微妙にそらした。

そしたら下を向きながら
「あーそうだなー。おれも関西帰るし、そしたらあいつらの子どもにおじちゃんじゃなくて、おにいちゃんと呼べって言うわ」
と嬉しそうに話した。

それは鮮明なイメージで。
そしてそんな幸せで泣きそうな光景は知らなかった。

ぼくたちはバカだからそいつらの子どもを待ち受けにするかもしれない。
それぐらいのジョークは残された側に許されても良いんじゃないかって勝手に思っている。

いつものように銭湯前で別れ、1人新宿の夜に溶ける中、東京の本当の寂しさを知った。

関西に引っ越す前に、一緒に住んでたあのボロ屋、片付けに行ってやるかな。

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2020年4月22日、夜。

家を引き払いにすでに関西に引っ越したやつが東京に戻ってきた。

当たり前のように泊まるところがないらしく、アルコール消毒をたっぷりとしたうえで家に泊めることになった。

リモート勤務とはいえ夜まで仕事だったので21時過ぎくらいに来てもらい、いつも通り取り止めのない話をしながらコンビニで適当な飯を買った。

「てかさ、一回オンラインで麻雀やってみない?」

そいつの一言に、いつもなら今度会った時で良くない?と言う僕も、やろうかと同意した。

なんとなく、これまでは麻雀をやることでぼくらはお互いを確認し、4人だけの世界がそこに広がっていることが好きだったため、オンラインには少しだけ抵抗があった。

けど、まぁ今は4人揃うの無理だし。
緊急事態宣言はいつ終わるかわからないなら、ぼくらの遊びも考えないといけない。

麻雀アプリでルームを作り、LINEでグループ通話を開始した。

もはやお互いの顔を見ることもなく、僕らは音声だけを繋ぎ、それぞれの生活音を聞きながら適当な会話を続ける。

後ろから嫁の声や、テレビの音、流してる音楽など、そこは4人だけの世界でありながら、リアルにはない奥域が存在していた。

生まれてくる子どもの性別の話をした。
子どもが大きくなったら、どこの学区に住むかの話をした。
どうやって教育するのか、なんてことも議論を交わした。
主役が少しだけ変わる、そんな音がLINE越しに聞こえてくるようだった。

麻雀は想像よりもリアルと同じ感覚で出来て、もはやリアルで会う必要が極めて少ないことを実感してしまったし、何より思い思いの生活をしながら遊べるのは間違いなく世界の距離が縮まった感じがする。

外出禁止は流れるような付き合いというものが減り、意図して会いたい人とだけ会えるようになったという点で時間の使い方は「今、会える」よりも「今、会いたい」に変化した。

リアルで会う時の「ぼくらだけの世界」は、オンラインになることでたしかにその奥にある「ぼくたちの世界」までを包摂し、これはきっとLINEのグループ機能がよりそれを強くしている。

きっとこれからの世界はもっとオンライン化が進み、リアルで会うということは儀式に近い行為へと昇華していくのだろう。

彼らの子どもたち、彼らのパートナーと会うことはオンラインの方が主流になるかもしれい。

電話の奥の声が増えた時に、ぼくもおじさんじゃなくておにいさんと呼んで欲しいな、と少しだけ思った。

7時間半に及ぶLINE電話を終える頃に差し込むあさひは、新宿西口で浴びていたものと変わらず、とても心地の良いものだった。

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2017年4月1日、朝。

六本木の入社式会場には、これでもかというほどに人が押し込められていた。

ぼくはこれから社会人というアイコンの一つとなり、きっとたくさんの失敗と、少しだけの成功をするだろう。

それなりに不安もあるけれど、まぁ多分大丈夫。

なんせ、もう一年近い付き合いのある同期たちがいる。
相変わらず、緊張感のない顔をしてお互い目配せしてニヤニヤ座っているけれど、今はそれが心強い。

これから先、何が起きるかわからないし、もしかしたらすぐに会社を辞めちゃったり、もの凄い社会不安に襲われるときがあるかもしれない。
世の中が丸ごと後ろ向きになることだってあるかもしれない。


それでも、


こっそりと机の下でスマホをいじって、メッセージを送る。

「前向けよ!笑」

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