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創作のために #1 退避場所をつくる
ときどき読者や知り合いから、「どうやって書いているのですか」とか、「いつ書いているのですか」と質問を受けることがある。その時、「最初は、手書きですね」とか、「夜中が多いですね。寝る前かな」などと、我ながらピント外れの返事をしていた。本当は、もっとまともな答えというか、創作のヒントとなるようなことを相手が聞きたがっているのに、あまりふかく考えていない私は、残念ながらきちんと答えることができなかった。
その反省を踏まえて、今回から、しばらく、そして、ときどき、このテーマについて考えてみたい。つまり、「創作のためにできることは何か?」ということだ。
私は詩の創作をのんびりとつづけてきた。2007年から書き始めたので、13年の月日が流れた。その間に、詩集を6冊と不思議な本を1冊、出版した。(私家版は除く。詳しい経歴はこちら) だいたい、2年に1冊のペースである。1冊あたり30弱の詩作品が収められているので、計算すると、1ヶ月に1作品を書いてきたことになる。これが多いのか少ないのか分からない(いや、決して多いとはいえないだろう)けれど、「書きつづけてきた」ことは確かだ。
この「note」の最初の紹介にも、「つづけてください」といったようなことが書いてあって、「やっぱり、そうなんだなあ」とおもったのだった。だから、「創作のためにできることは何か?」という質問を解く鍵は、「どうしたら創作をつづけることができるのか?」ということになるかもしれない。ただ、この問いかけも肩に力が入っているような気がする。もう少しゆるく書き直すと「淡々と創作活動をしていくコツみたいなものあるかな」ぐらいのスタンスでちょっと考えていきたい。
「淡々」という表現は、好きな言葉だ。「たんたん」とこなすかんじ。創作活動さえ特別視せず、日々のルーチンワークにしてしまえばよいのだ。気合を入れても、頑張っても、固い決意をノートに書いても、どうせ長続きはしないのだから。ただ淡々と日々の生活を整えていくのがよいだろう。
今回、私のなにげない生活の中で、実は、創作活動を支えているような「たんたん活動」をひとつ紹介したい。それは、
退避場所で、しずかな時間を過ごすこと。
退避場所は、自分でいくつも設定できる。例えば、喫茶店、自分の部屋、図書館、朝の公園、路地、神社仏閣、トイレもありだとおもう。退避場所は、おおむね「喧騒から離れて、特になにもしなくてもよい場所」という位置づけである。
ひとりで、しずかな場所で、特になにもしない。
それが叶う場所は、すべて退避場所だといえる。私の場合、休日に森を歩く、平日は駅から三十分かけて通勤場所まで路地を歩くなどである。以前、一度だけ訪れた京都の正伝寺は、最高だった。達人になると電車の車内も退避場所にしてしまうかもしれない。何もしないことをするのに、もっとも邪魔なものはスマホなので、最初はなかなか難易度が高いだろう。慣れてくると、風景や自分の心のようすに気づくことが増えてくるはずだ。それは、しずけさがもたらしたささやかな贈り物だとおもう。
このしずかな空っぽ時間の贈り物が、創作者の精神をやわらかくしているような気がする。そして、その奥にある創作スイッチのようなものをこつんこつんと刺激するのだ。